カテゴリ:その他( 5 )

政策学校「一新塾」のメルマガにてご紹介いただきました

私が嘗てよりお世話になっている政策学校「一新塾」のメールマガジンにて、少し、紹介をしていただきました。
まだまだ至らない私ですが、これからも宜しくお願い致します。

2012年8月25日
岐阜県にて

以下、転載。

『いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった!』~株式会社デルタトラクターを起業して~
一新塾第12期・22期「名古屋」地域科 宮田久司

●長かったフリーター時代
2002年、大学生として悶々とした日々を送っていた私は、新たな糸口を見つけようと一新塾の門を叩いた。
名古屋のミーティングに足を運ぶと、真剣にビジョンを語り、現実社会に働き掛けていく大人達の姿があった。そして、これこそ私が求めていた環境だと思った。
それから大学を中退し、2年半のアルバイト生活を送った。
先の見えない毎日に終止符を打ったのは、ある公共施設で見かけた「観光まちづくり」のワークショップのチラシだ。元々、地域振興に関心のあった私は、早速アイデアを持って愛知県犬山市にあった日本ライン広域観光推進協議会に聞き取りと提案に行き、その半年後、縁あってその職場にお世話になることとなった。

●地域だけで若者は食べていけない
日本ライン広域観光推進協議会と、その後移籍した美濃加茂市役所商工観光課に在職した約6年間、私は地域の現場に入り込んだ。
職責として、住民ワークショップ、イベント、展示会でのPR、特産品開発などを担当させていただいただけでなく、プライベートでも酒蔵と大学相撲部がコラボした商品企画や、中山道に関するイベントやフリーペーパー発行など、様々な事に関わり、勉強させていただいた。
一方で、これらの取り組みについては、反省点もある。
一つは、衰退が始まった地域に対して、行政が意向を持ち、職員が業務として担当し、予算を付け、ワークショップをやったとしても、結局、短期的なアウトプットや自己満足に終わってしまったという点。
二つ目は、地域のまちづくり活動に参加する場合、その活動以外に、広域的に発信できる別の本業を持ち、まちの活性化と自身も含めた利害関係者の利益とを明確に結びつけることが出来ない限り、その取り組みは持続しないという点である。
近年、まちづくり活動もコミュニティビジネスの一環として取り扱われているが、実際には相当な難しさがあると感じる。

●中国との出会い
市役所在職中は、新しい出会いもあった。同僚の中国人の繋がりから、当時、新たに着任された総領事(名古屋)とお会いする事もできた。2009年の秋。中国人観光客の誘致について、注目されはじめた頃だった。
総領事は、観光を通じた人的交流の促進に意欲を持っていたこともあり、私は美濃加茂市から白川郷、飛騨高山、下呂温泉なども含めた岐阜県の魅力を知って頂くため、観光視察と、各首長との面談を手配した。
それが一つのきっかけとなり、大連電視台の取材手配、行政視察の対応、勉強会の開催、ミッション団の派遣、市内事業者の海外展開動向調査や対応施策の検討などを進め、それまで取り組まれていなかった領域についても、商工会議所と共に取り組むべく、手はずを進めていった。
更に、美濃加茂市には日系ブラジル人を中心に、ピーク時には全人口の12%以上を占める外国人登録者数があり、それを活かした共生、交流、産業などの横断的なプログラムが必要だろうと、戦略を提示し、新ポストの設置も提案した。
しかし、こういった振る舞いは、一部の有力者からは煙たがられ、圧力がかけられていたことも事実だと思う。まだまだ出来る事は沢山あるにも関わらず、もはや何も出来ない状況に無力感を感じ、退職した。

●地域と世界をつなげる
退職後は、観光行政に携わっていた思いや人間関係もあり、主に中国の東北地方への観光プロモーションや視察アレンジなどに取り組んだ。
特に地元である岐阜県の魅力を、その地域の中だけに押しとどめておくのではなく、現地の生活者に紹介し、外の目や価値観によって、逆に磨かれ、一層の輝きや価値をもたらし、活性化へと結びつけることができると思い、活動を続けてきた。
日本では、どの土地にいってもインターネットがつながり、家電が充実し、きれいな車が置かれている。そういったグローバル経済から大きな便益を受け、グッズを揃えているにも関わらず、地方の側では、世界とのより良い結びつきや、貢献する手段を持ち得てない場合、どこで経済的な整合性を保っているのだろうか。地域と世界をつなげる「何か」が必要なのだと感じる。
勿論、そのような結びつきは、世界平和や共生、戦略的互恵関係の構築といった社会理念にもつながるだろう。

●モノを通じてコトへとつなげる
しかし、退職した事は良いものの、厳しい現実にも直面している。
誘客プロモーションや視察のアレンジは、見えない価値を提案するものであり、既存の業界の層も厚く、別の切り口が必要だった。
そんな中、ある方から直接観光誘客を進めるのではなく、モノを通じて直接コミュニケーションできる環境をつくり、そこから交流につなげていけば良いのではないかと助言を頂いた。モノを通じてコトへとつなげる、確かにそうだと思った。
また、自分ひとりの知恵だけでは限界があると考え、一新塾の仲間の協力も頂き、今年の6月に株式会社デルタトラクターを設立した。
このようないきさつも踏まえ、今は、来年に、中国大連市にひとつのコンセプトショップを開店するべく準備に動いている。
全てが未経験であるが、今のところ引き返す先も無い。人生の必然と思い、前を向いて挑戦し、成長し、貢献したいと心底思う。

転載は以上。

<関連リンク>
政策学校「一新塾」
メールマガジン・サイト
[PR]
by miyatahisashi | 2012-08-25 21:21 | その他

設立趣意書

世界と地域をつなぐプラットフォーム事業の展開に伴い、6月4日に「株式会社デルタトラクター」として、新たな一歩を踏み出します。
今回、改めてその設立にかける思いを設立趣意書として整理しましたので、以下に紹介させて頂きます。

——
驚くことを成し遂げる小さなチーム。
シリコンバレーを中心に起こった情報革命は、小さなチームのチャレンジが大きなエネルギーを産み、偉大な革命を牽引した。
我々の小さなチームは、世界と地域を結びつける交流の革新を通じ、世界の人々の旅行や消費のあり方、投資のあり方にひとつの良い、インパクトを与える。
このインパクトは、中国からアジア、そして世界へと広がり、グローバルな価値をもたらす。
切り口となる観光や高付加価値産品は、いわゆる文化消費である。
文化とは、耕し豊かになるとの言語的背景があり、我々の事業は、人々の心や身体を豊かにする普遍的価値を持つ。
文化を、文化として見出し、編集し、伝えるプロセスは、例えば千利休が、あるいは柳宗悦が、あるいはその思想と共に岡倉天心、新渡戸稲造や鈴木大拙らが、その手により、世界に広めた。
我々の事業は、それら先人の努力の延長線上にあり、各地に引き継がれ、存在する文化を見出し、深くに掘り下げ、広くに伝え、直接文明を豊かにする文化的な消費活動や、投資活動へと結びつける。
その結果、世界中の一人一人が満たされる、地域が生きる、前向きな交流が友好を育む。
我々は、偉大なチームにより、その飽くなき追求をし、世界に、文明に、経済社会に、人々の暮らしにより良いインパクトを与えたい。
この新たに仕立て、漕ぎ出した船は、世界と地域、ひととの縁を結び、つながりを育む、交流革新を牽引する、舵取り役であり、フロンティアでありたい。
——

2012年4月30日
岐阜県美濃加茂市にて
d0253056_1372935.png

[PR]
by miyatahisashi | 2012-05-01 01:37 | その他

社名の由来

昨年11月末に退職し、フリーの立場から使用していた「デルタトラクター」の屋号ですが、6月の株式会社化を目指し、準備を進めております。
現在、事業計画やその後の体制について構想を整理しておりますが、この屋号の由来について、記載したいと思います。

「デルタトラクター」という屋号が生まれたのは、実は今から12年以上前の2000年1月に遡ります。当時、高校2年生だった私は、前年までは、まじめな進学クラスにいたのですが、全く勉強をしなかったばかりか、その教育方針に異論を唱えるという、面倒くさい生徒だった為、最も出来の悪い(失礼!)人たちが集まるクラスへと行くことになりました。
そこでは、授業中にタマゴが飛んで来たり、気の弱そうな先生をいじめたりと、何から何まで騒がしい動物園のような(失礼!)クラスだったのですが、ふと、このような環境の中で、凄く真っ当でポジティブなことをやり始めようと、うかつにも思い立ったのがはじまりでした。

それは、例えば教室をペンキで塗り、明るい雰囲気を作り出すことを試みたり(今思うと、勝手に塗って、その教室だけ浮いていただろうし、どうかと思うのだが)、サッカーチームを部活とは別で立ち上げ、正規のサッカーチームの横で、練習しはじめたりと、思えば好き勝手なことをしていました。
その時のサッカーチームの名前が「デルタトラクター」(通称「デルトラ」)。
当時は、サッカーチームを基軸に、社会教育や福祉の視点を盛り込んだドイツ型のコミュニティクラブをつくるというのがひとつ、目指す方向として掲げていました。

エネルギーあふれる高校生たち。
そのエネルギーを教師への不満や、自転車を盗んだりといった事で終わるのではなく、前向き且つ創造的な方向に向けたい。
こんなどうしようも無いと思われている人間たちでも長所があり、創造性がある。それを引き出し、面白いことをして、一人一人の未来につなげたい。
それが、はじまりです。

中学校時代の体験が、私にこのような考えをもたらしたのかもしれません。
私の居た中学校は、とても厳しく、生徒は教師に絶対服従。校庭にガムの紙が落ちていたら全校集会といったかなり管理主義的な風土でした。
教師に反抗しようものなら…、これは私の個人的な体験なので一概にどうかは分かりませんが、狭い部屋に長い時間閉じ込められ、学校が終わってから空いた教室でその学年の教師達に取り囲まれ、「指導」という名目で一人ずつから叱られ、教師によっては殴る蹴る、髪の毛を引っ張るなどの暴行を受ける。そこには、一種独特の世界がありました。

これは、私が中学1年生の時の話。
それから時が経ち、3年生になったときの教室には、茶髪の生徒が現れ、廊下には自転車が走り、授業は度々中断ということにまでなってしまったのです。
内外で悪い人たちと接し、また体格もよくなった生徒達は、ここで一気に形勢逆転です。
そのような人間の中には、私は個人的に親しくさせていただいていた仲間や、小学校からの友達も居ました。
決して悪い人間ではないのです。様々な面で能力のある人間、良い性格の持ち主がそのような中にも沢山いたのです。いや、むしろ中途半端にまじめなやつより真っ直ぐだったかもしれません。
何が、彼らをそのような方向へと変えてしまったのでしょうか。

「デルタトラクター」の名前の由来は、毎回、名刺交換した方などに話すのが恥ずかしいのですが、「デルタ地帯を耕すトラクター」がモチーフになっています。
実際にデルタ地帯でトラクターが土地を耕しているのかは知らないので、完全に妄想なのですが、肥沃な土壌であるといわれるデルタ地帯を耕すトラクターの如く、潜在的に肥沃である個人や社会を耕し(可能性を引き出し)、豊かな社会をつくっていくんだ、よりよい未来をつくっていくんだという、高校時代の純粋な意気込みが、そこには込められています。
抑圧からの開放であり、それは創造的な開放です。
自由の獲得であり、自己制御への進歩です。

最近知ったことなのですが、日本語で文化と翻訳される「culture」という英単語にも、この「耕し豊かになる」という意味が、語源に含まれているのだそうです。
「culture」の語源は、耕すを意味するラテン語の「colere」。英語としては、「culture」のほか、耕すを意味する「cultivate」、農業を意味する「agriculture」などにも派生しているのだそうです。

「地域の潜在的な力を引き出し、個人の幸福と未来社会の創造につなげる」。これが、ちょっと長ったらしいですが、当社の理念です。
先ずは、中国に日本の文化をより魅力的に伝え、相互の幸福な出会いに結びつけること、その為にいかなる取り組みをすべきか。今、その具体的なビジネスモデル構築の準備に取りかかっているところです。
どうか、これからも「デルタトラクター」を宜しくお願い致します。

2012年4月14日
岐阜県可児市にて
[PR]
by miyatahisashi | 2012-04-14 21:05 | その他

新たな船出 – ‘Social Platform Business’ にかける思い

「最高のキャリアは計画して手にできるものではない。自らの強み、仕事のやり方、価値観を知り、機会をつかむよう用意をした者だけが手にする。なぜならば、自らの得るべきところを知ることによって、たんなる働き者が、卓越した仕事を行なうようになるからである」- Peter F. Drucker (*1)

3.11からの動き、あるいは中国大連市との交流の中から、私は今、務めている岐阜県の美濃加茂市役所から手を引き(辞め)、私のキャリアにとっての新たな未来へと一歩を踏み出すことを決意しました。

3.11においては、結果的に8度、宮城に行きました。人の生き方、これからの価値観について、あるいは経済・社会のパラダイムについて、私は問われていると感じました。
中国大連との接点ができる中で、現在の世界の地政学的動向や平和に対する認識を深めることができました。大連にも気づいたら昨年4月23日を皮切りに6度、足を運んでいます。そして、日本のこれからの産業・経済について、あるいは民族的・国家的アイデンティティの課題についても、一層問われることになるでしょう。
このような中、世界はどうなるか、日本はどうするか、地方はどうするか、そして個人としてどう動くかについて、今までの固定観念やしがらみを飛び越えて、考え、動かなければならない時機に来ているのだと思います。

未だに地域は俯瞰的、大局的、フラットでフレキシブルな視点や発想ではなく、立場、建前、体面を確立することによりタコツボ化(4T)されたムラ社会(「タテ」社会)により成立する既得権益のしがらみと支配の中、良く分からない「身内の論理」で動いており、様々な人財に由来する意欲やアイデア、行動が抑圧されているという現実があります。
先日、私自身、身を以てこの現実に直面し、痛手を被りました。

「日本の社会はいま問題になっているいじめと同じで、みんなが、上の人にいじめられ、しごかれて、「タテ」社会で失敗を避け、ゴマをすりながらここまできたという実感を無意識にでももっていますから、下の世代に対してそれを無意識に繰り返してしまいます。(中略)「タテ」社会では横に動ける可能性が少ないから無意識に、上にゴマをすり、へつらいはじめるのです。」(*2)

平成20年10月まで内閣特別顧問をされていた黒川清氏の指摘は、人口5万人程度のこの町にも大いに当てはまると思います。
美濃加茂にも、このような「タテ」社会があり、あるいは役所という組織にもあります。それは、硬直化され、根深く確立されているものだと実感しました。
そしてこの町の、天井を知りました。

訳の分からない「身内の論理」に同質化し、甘んじていては発展性がありません。
愚痴も増えます。人を信じることができず、謀略的になってしまうかもしれません。ゴマをすり始め、卑しくなるのかもしれません。目的を見失い、必要なところにエネルギーを費やし能力を高める努力をしなくなる怖れもあります。人格の破壊の予感と兆候を私の中に見出してしまったのです。
それは、個人のみならず、地域も、あるいは国としても同じでしょう。
それに気づき、立ち上がった個人、地域、国が、挑戦と努力の末に勝ち取るものがある、またその逆としての衰退もある。
その分岐点に今、来ていると、だからこそ、今までの固定観念やしがらみを飛び越えて、考え、動かなければならない時機なのだと思います。
そして、私は、現況の環境や立場から決別し、新たな見地から未来を創造する主体としての個人として、転身することにしたのです。

これからも、東北のことについて、中国(大連)のことについて、継続して、関心を持ち、貢献できる取り組みを進めていきたいと考えています。

東北については、現状、立ち上がる意欲のある中小の地場産業に対し、提供される十分な支援があるわけではありません。
今は、インフラ整備に対し、あるいは生活者の一定の生活水準の確保に対し、限定的な支援策がとられているにしかすぎません。国や県ができることは、それらのことに限られてくるのかもしれません。
東北は、新たな産業の創出と同時に、特色ある地場産業が再び立ち上がることがなければ、その地域経済の再生はありません。
地域経済の再生がなければ、多くの人は外部からの全面的な支援に依存し、低い水準のままの生活を余儀なくされるということになります。
しかし、これらの地場産業については、内需は十分に期待できません。特に食品関係については、被災地の商店街などの飲食店は地域によっては壊滅している為、内需回復の目処は立ちません。
また、資産価値が低下し、借金から設備投資にまわした設備自体が津波で損害を受けているケースも多く見られます。しかし、県や銀行の融資・支援の枠組みの中では十分な担保や信用が無く、資金繰りに奔走しなければならないといったケースも耳にしています。
この冬を乗り超え、魅力ある東北を再生せねばなりません。
その為に、全国の消費、寄付、善意の融資、あるいはその他のリソースを引き出し、供給する中間的な支援・コーディネート機能としての「地域再生事業体」が必要になると考えております。
地元の行政、中小企業、ボランティアで動く人、あるいは避難所で日々の生活を送る人、それぞれ個々のレベルにおいて、高い意識でがんばっている方と、この数回の訪問で出会うことができました。
しかし、それをまとめ、つなぎ、ニーズを汲み取り、地域再生をコーディネートする機能については十分に整っておらず、これが必要であると、前回までの訪問で確信しております。
今後「社会プラットフォーム」としてのそのような機能の組成と確立を進めて行きたいと考えております。
山形大学の知人は、「Smile Trade 10%」というパッケージとしての取り組みを通じ、大学としての支援プログラムを進めていますが、このような動きとも連携し、ひとまずは、ご縁のできた東松島、石巻といった地域を中心に、大きな枠組みとしての「地域再生事業体」の構築に動いていきたいと考えています。

大連については、10月1日に、岐阜県出身、あるいは縁のある方々の親睦、あるいは岐阜県と大連との友好交流の促進を目的とした「大連岐阜県人会」が発足しました。
2008年5月に日中間で調印された『「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明』においてもキーワードとして浮上する「戦略的互恵関係」の推進に基づく観光、経済の交流意欲が日中関係においても機運が高まり、日本の技術等の優位性や中国の市場としての価値が認められつつある中(*3)、しかし、その具体的な方法論や機能については、十分に整備・確立されているとは言いがたいといえます。
関税、商習慣の違い、法務、カントリーリスクの問題、低品質の旅行サービス、あるいは国民感情や相互の不理解などの様々な面倒な要因が、互恵関係の形成を阻害しているともいえます。
ジェトロ、旅行会社、航空会社など個別の主体が、これらの現状に対し、確たる解決策を持っている訳ではありません。
これらの障壁を解消し、安全且つ適正に産業経済、並びに観光文化も含めた人的交流について、コーディネートする「社会プラットフォーム」が今後必要になります。
今後、個別具体的な取り組みを進める中で、これらの形成についても関与していきたいと思います。

以上の2つのプログラムにおける問題意識のいずれにおいても、市場、国家、市民、あるいは産官学民を総動員して、その問題解決にあたる社会的ソフトとしての場(プラットフォーム)の形成が、現状の環境の中で、新たな社会・経済を創造する要素になると考えております。
個人としての転身においては、これらの「社会プラットフォーム」を構築し、機能させ、秩序の形成と受益者(生活者、消費者、事業者)への波及をもたらす事業(Social Platform Business; SPB)を通じ、創造、個の尊厳、幸福に根ざした未来の社会基盤を創造する一つの貢献主体でありたいとの思いを抱き、新たな船出として、私はこの 'SBP' を携え、漕ぎ出したいと思います。
どうか今後ともよろしくお願いいたします。

2011年11月5日
岐阜県可児市にて

<関連リンク>
黒川清オフィシャルブログ
Smile Trade 10%
「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明

---
*1 P.F.ドラッカー『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』, 1999.3, ダイヤモンド社
*2 黒川清『イノベーション思考法』, 2008.3, pp.211-212, PHP新書
*3 外務省ホームページ『「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明』, 2008.5
[PR]
by miyatahisashi | 2011-11-05 16:41 | その他

9.11から10年 — 今、地方からできること

2001年9月11日。私は当時経済学部の学生として、テレビでニューヨークの光景を目にしました。
何千人もの人がその災難に巻き込まれた中、私が次にとった行動は、ドルを買うというものでした。一時的に下がるドルを買って利ざやを稼ごうという単面的な発想に囚われていたのです。ウォールストリートに憧れがあったのも事実で、当時は金融関係への就職も考えていました。
しかしその後において、それらの行動の浅ましさを感じることとなります。人の不幸を契機に懐を肥やす節度ない行動。私は、何のための金か、金融か、あるいは富かについて、考えさせられることになったのです。

自動的に資金が集約できる国家についても素朴な疑問を抱いていました。権力統治のシステムが確立されているばかりでなく、様々な問題や不透明性が指摘されるなか、代替される仕組みをもたない国家システム。
当時、より効果的な公共的な意思決定や資本の分配システムが構築できるのであれば、もはや既存の国家システムは必要ないだろうと考えました。
そのような思索の経緯もあり、大前研一氏の著書の巻末で政策学校「一新塾」をみつけ、門を叩き、また後に大学は中退しました。

国家のみならず、経営危機に瀕したビッグスリーのCEOがプライベートジェットに乗って公的支援の要請に駆けつけ、更に高額の報酬を取り続けていること(*1)に批判が向けられたことも記憶に新しい事実です。
慣習や、環境はその人格を大きく左右するものなのでしょうか、あるいはその人の価値観との相互作用がそのような結果を招く要因になったのでしょうか。

ソビエト連邦の解体や、中国の資本主義システムの導入により、社会(共産)主義体制は事実上終焉。サブプライム問題や国家財政の破綻危機、英国やノルウェーなどでの暴動の頻発は、私たちの生活の基盤を成す自由市場主義経済に対しても、十分なものではないということを時折、知らしめられます。
一方で、価値・信用を数値化したお金、その融通、経済循環に変わる、価値交換の効果的な仕組みについては、今のところ有事・緊急時以外には想定できません。
我々は、今後も実体経済の中で生活をしていくことになるでしょう。
マルチプルやサイバーと言った浮遊する資金的動き(*2)を理解しながらも別の次元で、実体経済やボーダレス経済を軸に地域や生活者の豊かな生活の基礎を作り上げていくこと、また、その背景としての自己管理や制御を市民・国民の手で築きあげていくことが大切なのだと思います。
スイスのワインが国外に輸出されなかったり、ドイツの企業グループが、国内の資本家による自己資本比率を高めるよう指導をされていたりと、外部の思惑とは別に、地域や国が国民の豊かさを守るポリシーを貫いている姿勢も、多くの国で見受けられます。
社会における富を築き上げ、享受し、守る手段として資本(あるいはそのパラダイム)を活用する術を、今日ではもたなければならないのだと思います。

2011年3月11日の東日本大震災では、タイミングもあって、今まで未踏の地であった宮城に、結果として7度足を運ぶこととなりました。
同じ国民としてできることをしたいという想い、9.11の反省、そして、多くの犠牲の中で今までと違った考え方や仕組みが問われることになるだろうと感じ、動きました。
また、安直な増税議論や国家への依存度の高まりに危機感を覚えました。

現在私は、ある地方自治体で、国外の地方都市との多面的な都市間交流の枠組み構築及び、それを踏まえた都市としての立地優位性の構築についてを中心的課題として捉え、取り組んでいます。
分野や地域など、様々なレベルでの多元化が進み複雑化する社会の中で、3.11も含めた悲しみや苦しみの経験を糧にし、人類史上繰り返されて来た侵略と支配の歴史やDNAに終止符を打ち、平和と共生の理念を以て、新たな社会秩序を生み出す。
それを、一地方からできること、一地方だからできることとして、今問われる役割を発揮したいと考えています。

エブラハム・リンカーンは、「黒人奴隷の解放無くして自由の合衆国は存在し得ない」との信念を持ち、南北分裂から統合のプロセスにおいて役割を果たしました。彼がいなければ、今日のアメリカや世界は違ったものになっていたでしょう。
原発事故、国民国家の危機、繰り広げられる戦争、食糧・エネルギー問題。今、直面している文明の齟齬から、有志は手を取り合い、社会を再び創造することが、人類として、この時代に生かされた者としての使命であると感じ、私も今後、断続的な努力、行動を重ねたいと思っています。

2011年8月27日
岐阜県にて

<関連リンク>
政策学校「一新塾」
本文は「一新塾」メールマガジンにて配信される予定です

---
*1 Brian Ross, Joseph Rhee. ‘Big Three CEO flew private jets to plead for public funds’. Nov. 19, 2008. abc NEWS.com
*2 大前研一『新・資本論—見えない経済大陸へ挑む』, 2001.10, 東洋経済新報社
[PR]
by miyatahisashi | 2011-08-27 17:14 | その他