カテゴリ:東北・宮城( 4 )

「小野駅前郷」にみる地域の再生

昨年末12月28日から、新年の1月8日まで、宮城県東松島市「陸前小野駅」(現在運休中)付近にある小野駅前応急仮設住宅に滞在し、そこに住む人が中心となり、復興に向けた活動の最初の立ち上げを支援するため、滞在させていただきました。
3.11以降、地域の再生、日本の再生ということについて、特に10ヶ月経ち落ち着いて来た現時点で、じっくりと取り組む時期に来ていると感じます。
これからの復興プロセスが、地域の再生、日本の再生と大きく関わってくると思っています。
現場レベルにおいては、ハードと同時にソフト、内外の人の関わりの中で、いかにしてより効果的に、コミュニティや地場産業の再建を進めて行くか、その「時計をつくる」プロセスが、今から重要となるでしょう。

ここ小野駅前応急仮設住宅は、約80世帯300人。奥松島として知られる東松島市旧鳴瀬町の宮戸島、東名、野蒜、浜市などの沿岸地域で生活していた方々で多くは構成されています。これらの地域は津波の被害も甚大で、今後移住が必要な対象地のひとつでもあります。
私たちは震災後の支援活動のなかで、松島町「品井沼農村環境改善センター」にて避難所生活を送っていた野蒜新町地区の方々との交流ができました。仮設住宅の切り盛りを中心的に担っているのは、自治会長で新町地区に住んでいた武田文子さん。これから、仮設での生活者が目標を持って生活し、各々の活躍の場をつくりながら復興に結びつけていきたいとの意欲を持ち、以前岐阜県池田町に招かれた際、「世界遺産・白川郷」にご案内したところ、住民が助け合いながらも観光で生計をたてているこの世界遺産を見、「あの仮設にもこのような発想が必要」との印象を持ち、「『小野駅前郷』をつくらなければならない」との着想に至りました。
今回、この「小野駅前郷」の初動のプラン整理、連携体制などの基礎をつくるため、うかがわせていただいたということです。
この「小野駅前郷」プロジェクトは、現在のところ、「①現在観光マップ制作(現在の奥松島の魅力を紹介する)」、「②奥松島ツアーガイド」、「③道の駅機能」、「④観光案内所機能」、「⑤特産品企画開発」という5つの活動プランを段階的に、且つ多くの皆様の協力を得ながら前進させていく計画となっており、小さな一歩ですが、前に進み始めました。

以下、この「小野駅前郷」プロジェクトを通じ、地域の再生(あるいは創造)という観点から、3つのキーワードに基づき、見解を記述します。
1.コミュニティと専門性・特異性(横軸と縦軸)
2.主体の確立・場の形成・協業
3.多元的つながりとフィードバック

1.コミュニティと専門性・特異性(縦軸と横軸)
仮設住宅での生活は、コミュニティの形成が生活や人命を左右します。
小野駅前応急仮設住宅は比較的近い地域の方が集まり、一世帯あたりの構成人数も多いため、お年寄りは集まってひなたぼっこをしながら談話し、また隣近所を配慮しながら生活する姿が、自律的に形成されています。
一方で、小野駅前と交流のできた仮設住宅の一つ、仙台市太白区の「あすと長町仮設住宅」については、約230世帯450人、独居の方も多く、宮城県内各地、岩手県、福井県など様々な場所から入居者が集まっており、隣にどこの誰が住んでいるのか分からない状態、そして、自治会も立ち上がっておらず、入居者情報も入手できないという完全に個別化された仮設住宅となっています。ここでは、そのような状況に危機感を抱いた鈴木良一さんら住民有志が「運営委員会」を立ち上げ、なんとかコミュニティをつくっていこうと奮闘されていますが、そのような努力にも関わらず、やはり犯罪(迷惑行為により逮捕者が2名)や、危うく孤独死が出るという状況などが発生しています。
同じ東松島市の「グリーンタウンやもと応急仮設住宅」も大所帯で、市内外各所から人が集まっており、一人暮らしも多く、殺人事件や孤独死が発生しています。
このような実例から、コミュニティ、助け合い、「絆」といった文化・風土が生活空間において形成されているか否かが、社会福祉の観点から重要であるということことが良く分かります。
一方で、コミュニティが形成されているというだけで若者は食べていけません。
現代の高度な医療、発達した交通網、通信技術や機器、魅力あるコンテンツなどの製品やサービスの創造には、過去からの蓄積と世界規模での経済的連携があってはじめて成立するものですが、これら高度に文明化された製品やサービスを消費する上では、相応の支出が求められます。
しかし、特に地方のコミュニティや、コミュニティ経済に従事する労働において、それらの全てを受益するに足る経済的価値を創出しているといえるかというと、実際のところ疑問です。
日本は、「一億総中流」と言われる認識の中で、国家も、最低賃金の保障、農家への保護政策、租税と再分配などの制度・機能の発揮により、国民の比較的均等な消費生活が支えられてきましたが、ボーダレス化とアービトラージ(国際的な価格水準の差を利用して収益の確保や収益構造の効率化・最適化を図る動き)が前提となり、資本と生産が偏重し始めた現代において、もはや制度や財政といった国家の機能だけでは、富の再分配を賄いきれないということが、失われた20年の中で確実に表面化しているのではないかと感じられます。
国際協力機構(JICA)理事長の尾形貞子氏は、「経済運営において富の分配に良識が働かなくなった結果かもしれない。自由な社会だけど、一部の人だけ裕福になる。これまで有効だった税制という手段だけでは再分配ができなくなってきた。」(*1)と、租税国家と自由市場主義経済に依存した社会の現状と限界について言及しています。
議論されている増税は、この事態を延命するための一つの応急措置策となるのですが、根本的にこのメカニズムが変わらない限り状況は快方に向かわないのではないでしょうか。
とるべき方策は、「①地方がそれぞれの専門性・特異性を高めグローバルな価値を提供する力をつけること」「②経済的な価値換算のパラダイム(基準)を転換すること」「③格差や生活水準の多様化を人々が受容し幸福に対する価値観の多様性を見出すこと」という3つがあると考えていますが、人々や社会システムが順応していくことがこれから行く先に、待ち構えているのではないかと思います。
また、これらの順応プロセスや努力の中で、例えば、都市と農村といった地域間の相互依存性を加味した経済運営を多様なレベルで図り、「不等価交換」を緩和(*2)していくことなどが一つの視点になる、特に被災地での復興プロセスと被災からの克服において、試されている事柄であると考えております。
地域レベルでの努力においては、「専門性・特異性を高めグローバルな価値を提供する」動きを地域再生(あるいは創造)における縦軸、コミュニティの形成を横軸とし、その双方を多元的に深化させ、内外の関係性を強化し、相乗効果を高めることで地域は豊かになると考えています。そのための都市戦略(被災地であれば復興戦略)が必要となります。
今回、「小野駅前郷」プロジェクトを一つの入り口とし、奥松島の復興、宮城の復興、さらに支え合う地域同士の連携 ”Networked States of Japan.” がうまく融合したとき、日本の再生にも光明が見えてくるのではないかと考えています。

2.主体の確立・場の形成・協業
私は被災者ではありません。
現段階では岐阜に戻ればそこでの生活があります。しかし、被災した小野駅前応急仮設住宅に住む住民は、そこでの生活を次第に再建していく必要があります。
中小企業の経営者であれば、ダメージを受けた事業なり事業体を再建する必要があり、そこから逃れることはできません。いずれかの段階で、全国的な支援の手を離れ、自立する時期が必ず来るのです。
確かに外部から来たひと、資本、企業などが進出し、その土地の経済活性化や雇用の確保に寄与することはできるでしょう。
しかし、そこに依存するだけで復興を果たしたとは言えないと思います。
地域の方々や地場産業などを主体に置き、その内発的な意思と力を引き出し、外部の支援の輪、連携の輪とを多面的に結びつけることが必要になるのだと考えております。
現在、小野駅前郷の主体となっているのは、かつて新町の住民だった仮設住宅の7名。
みなさんが個性や能力を持った個人なのですが、復興事業を構想し、具体的に進めていくというプロセスに関して、その手立てを持っている訳ではありません。
そこで今回は、話を聞き、構想イメージを引き出し、数枚の資料に整理し、ともに関係しそうな方々に対し、支援協力の呼びかけをしてきました。
「小野駅前郷」構想は、現在のところ「絵に描いた餅」です。しかし、そこに主体となる住民が中心にいながらも、周辺地域の方、宮城にいる意識の高い支援者や専門家、あるいは全国の支援者や専門家の参画する余地をつくり、相互の意欲と能力を引き出し、支援者は、「私にできること」でバトンの引き継ぎができる「場」を形成することで、小野駅前郷自体のエネルギーも拡張し、「絵に描いた餅」が、オマケ付きで現実化してしまうということに繋がるのではないかと期待を抱いています。
「①主体者の内発的な意思や力を引き出すこと」、「②支援者が参画しやすい場をつくること」、そして「③各位ができる範囲で能力を発揮すること」でこの小野駅前をはじめとした奥松島一帯の復興に、一歩、近づいていくことができると信じています。

3.多元的つながりとフィードバック
今回の「小野駅前郷」の現場での取り組みにあたり、多様なレベルでの連携、情報共有をし、気にかけていただき、サポートを頂いております。
地域内での連携、仮設住宅間の連携、行政との情報共有といった東松島市や宮城県内での連携共有。政策学校一新塾や東北まちづくりオフサイトミーティングのような学習意欲の高い人材の集まるコミュニティの連携共有。京都大学で行なわれた財政研冬シンポジウムのような学術コミュニティ。山形や宮城の学生ネットワーク。あるいは岐阜新聞など含めた岐阜県内の連携網。
地域、各種専門家、国や県、民間企業、NPOなど多様な関係者とのつながりや情報交換、連携、各位が役割を最適に発揮するための活動とフィードバックの共有を意識して進めています。
このような「多元的つながり」を持とうとする認識は、被災地で意識的に動き始めている人々や団体の中では一般化しはじめているようです。逆に長期的に復興支援を進める上では不可欠となるでしょう。
震災復興と地域再生、さらには日本の再生という共通目的において、様々なステークホールダーが情報に基づきアメーバのように自律組織化しているとも言えるのではないでしょうか。
これらの様々なレベルでの繋がりが広く、濃淡も多様であれば、より大きな効果が期待できる。「小野駅前郷」も絵に描いた餅ではなくなる可能性が高くなる。学術的にも良いフィードバックが得られる。復興の為の政策にもフィードバックできるだろう。それらが更なる相互依存、相乗効果を高める結果となる。ゆるやかな多元的つながりが情報(目的)に基づき自律組織化を図り、各位の成果をあげながらも全体の復興や再生と結びつく様は、まさにネットワーク型(つながり)社会の最大の効用と言えるのではないでしょうか。
ガバメント、ガバナンスからマネジメントへ(*1)と言われる地方自治の現場においても、今後、その仕組みや視点を学習・転用し、公共性を伴う地域の経営をオープンにしていく時期に来ていると考えています。

今回の復興プロセスを共有させていただくにあたり、私なりに、特に上述した3点を中心に現場レベルでの取り組みと社会システムや社会科学分野での貢献にも結びつけていきたいと考えております。「小野駅前郷」をどうぞよろしくお願い致します。

2012年1月8日
宮城から東京への車中にて

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<関連リンク>
「小野駅前郷」公式ブログ
あすと長町仮設住宅
政策学校一新塾
東北まちづくりオフサイトミーティング
みまもり隊
Smile Trade 10%
海野進「地域経営研究所」

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*1 日本経済新聞9面「日曜に考える」, 2012.1.8
*2 広井良典『創造的福祉社会—「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』, 2011.7, pp.118-124, ちくま新書
*3 海野進『地域を経営する―ガバメント、ガバナンスからマネジメントへ』, 2009.4, 同友館
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by miyatahisashi | 2012-01-16 22:31 | 東北・宮城

震災復興と地域再生(商店街、地場産業、仮設住宅)

11月21日から23日まで、9回目の東北への訪問を終えました。
今回は、山形と宮城。特に22日は石巻と東松島の現場をまわりました。
先ず、山形大学・東北芸術工科大学のメンバーらが進める「Smile Trade 10%」(以降ST10%)経済復興プロジェクト「START」の一環で、石巻市ことぶき町通り商店街の関係者の皆様と面談。
その後別れ、お付き合いのある高砂長寿味噌本舗さんと面談。
そして宿泊は、東松島市小野駅前仮設住宅集会室。この仮設住宅が、これからの宮城での「拠点」となります。

商店街、地場産業、仮設住宅。
それぞれが全く形態の異なるものですが、これら全てが地域を構成する主体となります。
そして、「震災復興と地域再生」の担い手にならなければならない主体です。
更に、これから継続し、多面的な支援や連携が必要となる対象でもあります。
今回は、これらの主体についての、関連する取り組みと現状について、記載したいと思います。

1.ことぶき町通り商店街(宮城県石巻市)
今日、特に地方都市における商店街は、過渡期を迎えております。
鉄道の利用形態の変化、車社会と基幹道路の拡張、郊外型大規模小売店やロードサイドのフランチャイズ店舗の増加などに伴い、各地における地域の経済的ボリュームや客足などにおいて、相対的な位置づけが低下し、更に後継者問題など併せ、閑散とした状況が続いているというのが、現状の多くではないかと思います。
一方で、経済産業省以下、県や国の進める中心市街地活性化施策などに併せ、インフラ整備や補助金などが比較的つぎ込まれており、自らの商売における商品やサービスの価値を見直し、ビジネス展開を図る、あるいは商店街としての「場」の価値を高める努力や工夫を、主体的に展開するということが、地域によって大きく差があるという実情がある、というのが現状の認識としてあります。
時に、「殿様商売」だと言われてしまいがちな商店街ですが、一方で存在意義をもたせることも、確かに可能であると考えます。
ことぶき町通り商店街が、今日までどうだったかについて、私は現段階では十分把握しておりませんが、震災後、再生する強い意志を持ち、方法を模索していることは、対話の中で伝わってきました。
この商店街では、同行した、青山学院大学の塚本俊也教授を中心に学生が中心となり展開されたことぶき町通り商店街の「石巻街路復興支援事業」の取り組みや関係を引き継ぎ、連携し、経済復興に取り組んでいくという決意で、ST10%のメンバーたちは、ヒアリング、意見交換、そして学生によるプランの提案がなされました。
それらの提案がどう映ったか、未だ何とも分かりませんが、これから現場に入り、より深く対話し、考える中に、先に進む道があると感じております。
プロジェクトに関し、私が関われること、できることは微小であると思いますが、「震災復興と地域再生」という同じ目的のもとに動く同志でもあり、ぜひできる範囲で連携協力していきたいと考えております。
商店街に対する固定観念を打破し、地域再生の一つの拠点として、関係者とともに街が活きることを願い、石巻を後にしました。

2.株式会社高砂長寿味噌本舗(宮城県石巻市・東松島市)
石巻の本社が被災した高砂長寿味噌本舗は、内需が見込めない現状の中、地場の産品と味噌や醤油を組み合わせた商品開発を積極的に進め、外へと販路を拡大させることに尽力されています。
震災からなんとか立ち上がり、地域の特色ある産品を生産する経済主体として、地域経済を動かす役割を、これらの企業は担っています。
そのためには、外貨を獲得する為の活動、すなわち「外商」活動が必要となります。
ご縁もあり、これらの商品を岐阜県で販売してきた経緯から、これらの地場産品の生産者を積極的に支援し、農商工の連携を進め、中長期に渡る復興の担い手として、その外商力の拡張とその恒常化が、「震災復興と地域再生」には不可欠であると認識しております。
震災から8ヶ月経ち、多くの他の地域の人々の、復興に対する意識は確実に弱くなっています。その現状を踏まえ、後々まで自然に東北の力に繋がる復興手段を見出さねばならないと考えています。
今回の訪問は、私の立場が変わることも伝え、その上で、一層復興支援に注力すること、また、外商強化に向けた協力を進めて行くことなどについて、意見交換させていただきました。
現在、この延長線上に、ひとつ企画を考えています。

3.小野駅前仮設住宅(宮城県東松島市)
小野駅前仮設住宅では、品井沼(松島町)の避難所の時からお世話になっている、東松島市野蒜新町地区の方が責任者を務め、がんばって切り盛りをされています。
今回も、1泊2食をいただき、夜は、岐阜県美濃加茂市役所から出向している職員も含め、食事を頂きながらお話をしました。
野蒜は集団移転が予定されているところ。どこにどう、また費用面や権利面も含めて、先行きが見えない中、不安と過去の悲しみを抱え生活されています。
これから寒くなり、仮設住宅にこもる方も出てくるのではないか、ふとした時に自殺者が出るのではないかなど、心配な面も抱え、なんとか仮設住宅での生活やそこに住む方々の状態をより良くしたい。そのような思いをもって、葛藤しながら毎日をおくってみえることでしょう。
なかなか自分たちだけで立ち上がることも、働き掛けることもどうすれば良いか分からない。しかし、自分たちが主体的に立ち上がらなければ、受け身のままではダメだ。そのような危機感をもっています。
住民が問題解決をし、地域に対し前向きな働きかけをして行くことができる「プロジェクト」が必要。それを進めていきましょう。
その責任者の方と、意気投合しました。
12月の終わりから、少し東北に滞在する予定をしています。
そこで、これからお世話になる(つまり東北のベースキャンプにさせていただく)お礼として、私も、ここで、主体的に立ち上がるプロセス、その手段としての「プロジェクト」の計画立案、遂行において、ファシリテーターとして、お手伝いさせて頂くことになりました。

商店街、地場産業、仮設住宅と、それぞれ対象は違いますが、東松島から石巻にかけ、ひとまず5年、私なりのスタンスを見つけて関わっていこうと思い、東北の地を後にしました。

「震災復興と地域再生」。
このタイトルは、震災以降、財政学、社会関係資本や地域再生といった観点からアドバイスを頂いている京都大学の諸富徹教授が主催するシンポジウムのタイトルでもあります。今度、ここで今までの認識を報告させていただく予定です。
これからまず5年間、取り組む必要のあるキーワードです。

2011年11月23日
名古屋に向かう車中にて

<関連リンク>
Smile Trade 10%
青山学院大学ボランティア・ステーション
石巻「ことぶき町通り商店街」
高砂長寿味噌本舗
財政研冬シンポジウム「震災復興と地域再生」
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by miyatahisashi | 2011-11-25 00:23 | 東北・宮城

復興価格は据え置きで

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昨日、高砂長寿味噌本舗より商品サンプルが届きました。
高砂長寿味噌本舗は宮城県石巻市に本社を構える(津波被害の影響で移転予定)味噌や醤油を生産する企業で、米麹と大豆麹を併用したまろやかで甘みのある「松島味噌」などを生産しています。
これからこちらの地域での販売や飲食店での利用などを促進し、復興の後押しをしていきたいと考えています。
「企業への補償は無いんですよね」という高砂常務の言葉もありましたが、津波をかぶった事業者の方々は、大変な苦労や見えない先行きのなかでがんばって立ち上がろうとしているのだと思います。
このような中、寄付、基金、支援商品(先物購買など)、実際の消費などといった、多様な側面からの経済的協力が重要となってくるでしょう。
高砂長寿味噌をはじめとした東北産品の購買は、私たちに「できること」のひとつなのかも知れません。

先日「六次産業化」という言葉を知りました。
六次産業とは、第一次産業(農林漁業)から第三次産業(商業)までを統合(1×2×3=6で六次産業)してひとつの主体が取り組み、その担い手となる生産者の所得を高め、農林漁業の持続可能性を確保しようとするものだそうで、昨年の12月3日に「六次産業化法(地域資源を活用した農林漁業者等による新事業の創出等及び地域の農林水産物の利用促進に関する法)」が交付され、農林水産省を中心に強力に推進(*1)とされることとなっています。

私は震災後初めて東北を訪れました。
東北は、美しい自然や産品のユニークさ、都市の形態などにおいて大変魅力的な地域であると感じました。
また、先週お会いしたのりの生産者や精肉事業者の方など、当然といえばそうかもしれませんが、それぞれがこだわりと気概を持ち、生産加工をしていることが分ります。
疲弊する地方の再興、地場産品などを生産する中小零細企業・農林水産業従事者の持続的発展のためには、廉価で大量生産・大量消費のパラダイムで効率的に展開される商品やビジネスに負けない「付加価値」を提供し、証明し、価格へと反映させる取り組みや、環境をつくっていくことが大切なのだと思います。
しかし一方で、一生産者、中小零細企業の立場からこれらの環境改善を図るには限界があることも現実ではないかと思います。
六次産業としての統合のみならず、農商工の連携、流通、小売、消費者の賛同と協力といった全ての関わる人々の力なしには実現し得ないものなのだと考えます。

「プラダとかグッチなどのファッションブランドは、そういうお客さんたちが育ててきたものです。使えるお金は決して多くはないけれども、いいものを長く着たいという人たちのために、お店は商品を作っているんです。つまりお客さんが商品を育て、ブランドを作ろうという循環が、いい意味でずっと続いているわけです。」(*2)

工業デザイナーの奥山清行氏が着眼するこのような循環を、北海道の釧路市では「産消協働」(*3)というコンセプトとして採り入れ、中小企業基本条例を制定しています。
中小企業基本条例では、「市民は、消費者として直接間接に中小企業の顧客となり経済循環の一翼を担っており、中小企業と互恵関係にある経済主体である」とし、「各経済主体は協働してその実現に向けて取り組むものとする」(*4)と条文に謳っています。

今回、仕入れる予定となっている産品の中には、一般の卸価格よりもあえて高く仕入れさせていただき、高い値段設定で販売させていただこうと考えているものもあります。
復興価格です。
「もう少し高くしましょう。がんばって復興させてください。がんばって良いものをつくってください。」そう伝えさせていただきました。
子どもの頃から「ものづくり」が大の苦手であった私ですから、良いものを作る作り手には感心し、感謝し、がんばろうという方々を尊敬もします。
「本来の」、あるいは現代にして「適正な」価格・価値に反映させ、消費者の理解と満足へとつなげていくお手伝いは、求められていることの一つだと思います。

思うと、私の住む地域にも様々な価値ある産品が既に存在し、眠っているのだと気づかされます。
かつて親しくさせていただいていた「小弓鶴酒造」のおり酒もそのようなものだったのかもしれません。
小弓鶴酒造では、江戸から続く「麹蓋」から麹を作り、麹作りからこだわりの濃い、コクのある酒を造っています。
美濃加茂市蜂屋で生産されている「堂上蜂屋柿」も同様でしょう。
こだわりを持ち、手間をかけ、品質と内容が充実している産品。それらの産品が果たして、現代にして「適正な」価値・価格へと反映されているのかについて、今一度検証していきたいと考えています。

大規模な生産、大量で廉価な製品は、多くの需要に対して効率的に供給をまかなう一方、資本と労働力の限定的な集約化が図られます。
そして、効率が高まれば高まるほど、その程度も高まっていきます。
それが、企業間の格差、地域間の格差を拡大させ、一方で競争を激化させる要因になっているのかもしれません。
そして、そのような単面的な社会や経済が、一人一人にとって幸福をもたらすものであるのかというと、一概にそうとは言えないのではないでしょうか。

生産者と消費者、地域と地域が対立や競争ではなく、相互理解、協調、創造的関係を築き上げていく中で、双方にとって有益な社会、経済環境を作り上げていくこと、釧路市の掲げる「産消協働」と「地域間協力」が、その有益な視点・手法となりうるのではないかと考えています。
また、それを実現させるための取り組み、知恵、技能なども必要になってくるでしょう。
それらを通じて、世界を、多くの人にとってよりよいものに出来るか否かが大切なのだと思います。

あえて震災の肯定的側面を見出せるとしたら、そのようなきっかけを私たちにもたらしたということなのかもしれません。
どう捉え、動くかは、残された私たちに委ねられたものなのです。

2011年7月30日
岐阜県美濃加茂市にて

=関連リンク=
高砂長寿味噌本舗
高砂長寿味噌本舗(You Tube)
釧路市HP(中小企業基本条例について)
小弓鶴酒造

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*1 農林水産省「農林漁業者等による農林漁業及び関連産業の総合化並びに地域の農林水産物の利用の促進に関する基本方針」, 2011.3.14, pp.2
*2 奥山清行『フェラーリと鉄瓶―一本の線から生まれる「価値あるものづくり」』, 2007.4.19, pp.49, PHP研究所
*3 釧路市「釧路市中小企業基本条例について」(ホームページより)
*4 釧路市「釧路市中小企業基本条例」, 2009.3.24
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by miyatahisashi | 2011-07-30 22:56 | 東北・宮城

残された私たちにできること

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7月17日から19日にかけて、再び宮城県に行ってきました。
震災から4ヶ月以上経過、あわせて7回目の訪問です。

18日夜には、東松島市野蒜の方々が避難する松島町の品井沼農村環境改善センターで泊めていただきました。
野蒜は、美しい風景の広がる奥松島の一角、野蒜海岸で知られるところで、十数メートルにも及ぶ「想定外」の津波により、一瞬にして多くの住民の命が奪われてしまったところです。
野蒜での悲劇は、走行中の仙石線が津波の直撃を受けたことや、避難所となっていた小学校の体育館にまで津波が押し寄せ、多くの方が命を落としたことがメディアでも報じられています。

野蒜のある東松島市の死者・不明者は合計で1,153人(*1)。
市民の約40人に一人が亡くなっています。
沿岸部で計算すれば、その割合は更に高くなるでしょう。
ここの誰もが、知人や家族を亡くし、かろうじて生き残った者なのです。
たまたま私は、津波の来なかった岐阜県に住んでいますが、それでもあえて共有できるものがあるとすれば、私たちもまた、日本という船において生き残った者であるという自覚なのかもしれません。

産業経済の側面では、仙台港に立地する企業のいくつかが撤退を決め、あるいは規模(雇用)の縮小を決めているとのことでした。
また、直接的、間接的に影響を受けている中小零細企業があります。
何とか生き残った者についても、これから震災の影響が長期にわたり出てくるであろう状況の中で、切り盛りし、産業をおこしたりといった皆の生活基盤をつくっていくことが大切になるでしょう。
起業家精神が様々な分野で求められます。

インフラが整い、主要幹線道路の沿線や都市部の商業機能が復旧し、報道の頻度も減ってくると、直接被災していない者からすれば、日に日にその切迫感は薄れていきます。
そのような中に現在はあると思います。

19日には、直接大きな被害を受け、自宅が地盤沈下で水没したという海苔生産者の女性にお会いしました。
現在は、仮設住宅暮らしだそうで、そこから再び旗を揚げ、来年には海苔生産を再開するよう手立てを整えているようです。
今は、何とか問屋が保管していた海苔を買い戻し、それを販売し来年への活路を見出していこうと、元気にがんばっています。
東松島市の矢本で生産される海苔は、一つ一つに手間をかけ、丁寧に作られる高品質のもので、皇室献上海苔として知られているようです。
松島町から石巻市にかけての沿岸は、海苔、牡蠣といった海産物の一大産地となっています。
今回の津波では、家屋をはじめ、様々なものが海へと流されてしまいました。
この海をきれいにすることも、これから取り組まねばならないことでしょう。
更に、流されてしまった設備や機械なども再び買い揃えなければなりません。
彼女は、既に機械を見に出かけるなど、復活させる意志を持って日々、奔走しているようでした。

今、この女性のように、様々なレベルで前を向き、再び立ち上がろうとする意欲が多くの場で見られます。
しかし反面、見えない先行き、定まらぬ政府の方針、様々な課題が、その前途に待ち受けていることもまた現実なのです。

今、私たちにできることは何だろうと思います。
これらの意識や行動の変化に対し、私たちが側面的にできることは何かと。
これから、私は、私なりに、そのことを考え、実践を通じてこたえを出していきたいと思います。
また、多くの被災していない方々に、そのような問いかけができないかと思います。

2万7千人以上の方が亡くなり、あるいは現在も未だ不明であるという事実。
日本では、毎年3万1千人以上が自殺している(*2)という事実。
毎年5千人近くが交通事故で亡くなっている(*3)という事実。
イラク戦争では、累計で15万人以上もの方(うち80%以上が一般の市民)が亡くなっている(*4)とも言われています。

これらは全て、想像しがたい数字ですが、テレビで津波の情景を見、その後の経過を見、被災された方々の話を聞いて改めて考えさせられます。
ひとつは、「残された私たちができること」とは何かということ。完璧ではなくともベストを尽くすべく生きていくことが大切ではないかと。
もうひとつは、原発事故、自殺、戦争といった人為的被害を見て思うのですが、絶えず顕在化していく文明や社会の齟齬にどう向き合うかということです。
先人の築き上げてきた文明(思想、科学、技術)や社会(システム・制度・慣習など)は、現在の私たちに多くの利便性をもたらしています。
平均寿命も上昇しています。
職業選択の自由が、才能開花の機会を与えてくれています。
問題は、これからどうなるか、どうしていくかということですが、これら人類の理性や意欲(欲望・願望)が自然に働きかけ、築いてきた文明、それを制度化・構造化した社会、これらが、これから益々、一人一人の幸せに深く根ざしたものとして創造できるか、あるいは、これからの人為的な技術、制度、政治・経済の暴走や失敗に対し、その危険要因を十分に制御できるものなのか、それに対し、人類自身が知恵と自制心をもって挑むことができるかということなのだと思います。

地震、津波、原発。
この複合的な災難から、私たちは、自分自身の生き方について、加えてこの文明や社会のありようについて、忘れないうちに出来る限り見直して、具体的に修正していくプロセスが必要になるのだと思います。
これらの問いかけや努力は、震災からの復興と同様に、永続的に求められるプロセスになるのかもしれません。
生き残った私たちは、助け合い、力をあわせて行動したり、仕組みをつくりなおしたり、知恵を共有したり、この世界を、より深い洞察から、より良いものへ、より平和、安全、安心なものへ、持続可能なものへと改善する努力をすべきで、よく検証し、船なり行き先を変え、旋回する必要もあるだろうと思うのです。

その過程において、私なりにできることを考え、実践していくこと。
それが、3.11を過去のものとして置き去りにしないひとつの姿勢なのだと思います。

5月18日に、私の住む美濃・尾張地域の有志の方々が中心となり「東日本大震災復興支援ネットワーク・もうやっこ」という連携体が立ち上がりました。
「もうやっこ」とは助け合いといった意味の方言だそうです。
「もうやっこ」は、様々な立場を越え、「志」を持つ一人一人の意識、行動、資源をつむぎ、様々な支援活動を通じて新たな出会いや創造(「縁(えにし)」)へとつなげ、社会の絆を強化していこうとの目的で立ち上がりました。
近年、ソーシャル・キャピタル(Social Capital:社会関係資本)、ソーシャル・ファブリック(Social Fabric:帰属意識を持つことができる社会)といった言葉が多く聞かれるようになりました。
今回の震災を機に、絆で結ばれた地域社会、あるいは地域と地域が日本を網の目のように包み、それが、新たな日本の底力、停滞感のあった社会や「空気」を払拭する大きなきっかけとなること、更にはこれらの価値観や学習が、東アジア、あるいは世界全体に有益な波及効果をもたらすことができるようになると信じています。
また、その過程において、微力ながら私自身も貢献したいと思うのです。

2011年7月23日
岐阜県美濃加茂市にて

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*1 「東松島市ホームページ」(2011年7月19日現在統計)
*2 「警察庁統計」警察庁(平成22年データ参照)
*3 「交通事故統計年報」警察庁(平成21年データ参照)
*4 “What the number reveal”, 23 Oct. 2010, ‘Iraq Body Count project’ (2003 – 10 Oct. 2010 data)
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by miyatahisashi | 2011-07-23 22:43 | 東北・宮城