平和と共生 — 自らのDNAに挑む

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先日、大連市の中山広場にある「大連賓館」に4日間滞在しました。
大連賓館に事務所のある日中法務交流・協力日本機構に務めてみえる方のお勧めで手配していただきました。
この建物は、日本が満州を占領していた1907年に開業した「大連ヤマトホテル」として満州鉄道により経営されていた時期もありましたが、今でもその遺産を引き継ぎホテルとして経営されています。
大連市を含めた東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)は、漢民族のほか、満州民族(女真族)、朝鮮族、蒙古族などの民族が入り組む地域であると同時に、時代の過程においてはロシア人や日本人などが移住(占領)してきた地域でもあります。
民族の衝突の地であり、歴史に翻弄されてきた地域と言えるのかもしれません。

ちょうど出発日の8月6日は広島に、帰国日の9日は長崎に原爆が落とされた日でもありました。
戦後66年が経過し、私のように高度経済成長期に生まれバブル崩壊後に育った世代としては、戦争とは全く現実味のないもので、どこか潜在意識の中で戦争は起こらないもの、平和は当然のものであるという認識に馴れきってしまっています。

大連(旅順)は、中国における軍事拠点の一つでもあり、渤海、黄海、東シナ海の治安維持において青島と並び重要な役割を果たしていると聞いています。
大連の南に位置する黄海においては、韓国軍と米軍において共同の軍事演習を展開され、またオーストラリアにおいても共同演習の強化が図られるなど、中国の領土拡大に対する強い姿勢と同様に、米軍の東アジア近郊における軍事的な取り組みに対して、双方の緊張が高まっていますが、逆にそのお陰でなんとか均衡が保たれているといえるのかもしれません。
実際のところどうなのか詳しくは分かりませんが、見えない駆け引きが展開されているのでしょう。日本は、その間で漂流しているような島国ですが、経済的に、あるいは一つの文明としては、現状において一定の力を持っているとは言えるのではないかと思います。

平和は当然のものとしているであろう私たちの世代の日本人は、日米安全保障条約をはじめ、覇権国として世界にその勢力を誇示してきたアメリカへの追随(バンドワゴニング)により、今日までは一定の平和と成長を享受してきましたが、津波がそうであったように大きな「想定外」の出来事も突如として起こり得ないともいえません。
今、平和について改めて見直す時期に来ているのではないでしょうか。

先日、スイス政府が編集する『民間防衛』という本を手に取りました。この本は、スイスでは全国民に配布する国家防衛のためのガイドラインのようなものだそうです。
ここにおいてスイス政府は、国家の基本的財産を「自由と独立」であるとし、「国民に対して、責任を持つ政府当局の義務は、最悪の事態を予測し、準備すること」であり、更に「自由と独立は、断じて与えられるものではない」と断言しています。その上で、国民「すべてが新しい任務につくことを要求」されている(*1)と意識、思考、行動面において啓発・警告をしています。
スイスは、2度の世界大戦を通じ、周囲の強国の脅威にさらされる中で、「永久中立」という戦略をもって一つの独立を保って来た連邦都市国家ですが、絶えずそれぞれの歴史についても検証し、自然災害も含めたあらゆるハザードを想定し、その対策を打つべく指針を示し、その権利の獲得と義務の要求を明確化しているのです。

戦争とは起こりうるもの、人や国家は暴走し得るもの、自然災害や事故は起こり得るもの、平和や安全とは与えられるものではなく自らが獲得していくものであるという基本的なスタンスから出発し、情報操作なども含めた脅威の対象を明確にし、それぞれがいかなる立場で、いかなる対策を講じ得るかについて、考え、コミュニケーションを図り、対策や行動を促すというスイス政府の姿勢を見ていると、不明瞭なスタンス、よくわからない情報や、見えない意思決定があふれる我が国について考えてしまいます。

黄海を舞台に繰り広げられる軍事演習や、尖閣諸島の報道は、ハンチントンが指摘するように、アメリカが「世界のほとんど全ての地域を勢力範囲におさめて、自らの国益を促進する能力をもっている」中で、「実質的にすべての地域大国が、独自の利益の促進をますます主張しつつあり、しかもその利益は、アメリカの利益としばしば対立」する「一極・多極体制(uni-multipolar system)」いう状態に変化しており、更に「真の多極体制」へ変遷(*2)している現在の動向がうかがえます。
アメリカと他の地域大国との関係性に変化があらわれる中で、日本においても様々な地政学的変動(リスク)を抱えることになるため、変化を捉えた適切な対応が要求されることは間違いないのだと思います。
適正な理念、戦略、そして国民の理解と努力が今後問われてくるでしょう。

近年のアメリカは、石油資源の略奪や軍産複合体の影響が表面化するなかで、現状の秩序を維持・拡大させる過程において、アフガニスタンへの侵攻をはじめとした好戦的な姿勢に対して、外交の場においても多くの批判の目が向けられてきました。
また、英米が主導してきた国際的な金融の枠組みについても、特にリーマンショック以降に不信が生まれています。国家財政についても持続可能性に疑問符が打たれています。

アジアにおいて強大な国家として、その地を治めていた中国は、19世紀初頭から弱体化し、英国、ロシア、日本の侵略(日本については、ロシア勢力からアジア圏を防衛する手段として侵略を図ったという歴史認識もある)を受け、あるいは内戦や強権的な独裁政治を経て現在に至っています。
漢民族が主軸となる中国共産党体制が確立し、一国二制度により経済成長を遂げ、技術や経済において大きな飛躍を実現し始めた中国は、今こそ再興の時代であると、反逆精神が湧き上がってきても当然といえるのでしょう。
強く、豊かになる。
アラブ諸国も含め、「Discipline of the West」(西洋の統治)を乗り越え独立を果たすというストーリーは、21世紀のアジアを見る上での一つの視点と言えるのかもしれません。

しかし、残された我々が、今からできることとは何でしょうか。
我々はその中で、小国として強固に生き延びているスイスに倣い、リスクを明確にし、その対策を打っていくこと、それを国民全員の手で守っていくことも重要なことかもしれません。実際、既に多くの自然、人的リスクが内外に潜んでいるということが、今回言うまでも無く露になったことです。
また、もう何千年も続く「侵略と支配」の歴史が、現在もそのDNAとして人間活動を方向付けしているという現実も、やはり各地で起きる緊張関係や戦争を見ると明らかです。
スイスで顕在化されている手段もあくまで手段です。あくまで「自由と独立」のための手段です。

私は、今回の震災で多くの日本人が直感的に理解したように、相互に助け合って生きていかなければならないという価値観、原爆投下による悲しみや苦しみから平和を希求する価値観、あるいは古くから仏教、西欧文明を導入し、融和させてきた文化的許容度などといった文化的背景を哲学として強化し、今日までの文明が支配していた「侵略と支配」のDNA(価値観や慣習)ではなく、「平和と共生」を希求するDNA、理念、哲学を確立し、波及させていくことが今の日本において、これからできることなのではないかと思います。

大連の地で経済、物流、観光、文化、政治といった多面的な交流を促進していくことは、ひとつの手段。
国内、そして東アジアにおいても支えあいの網の目が地域を包み、更に個人の理念と行動に「平和と共生」のDNAが備わり、その適切な理念と行動をもって主体性を発揮することができた場合において、いわゆる攻撃的な防衛手段一辺倒に頼ること無い、能動的防衛手段としての意味も含む「信頼関係に基づく相互の持続的発展と均衡の維持」を実現することができるのではないかと思います。

今世紀において、この「侵略と支配」からの脱却と「平和と共生」の理念に基づく持続可能な発展と均衡の維持、市民国民の適正な理念と倫理に基づく主体性の発揮という視点は、人類におけるパラダイムシフトとして必要かつ注視すべきものであると感じています。
「Discipline of the West」からの脱却という相反性のある概念ではなく、我々のDNAの呪縛からの脱却(超越)という包含性を中核的信念としてことに当たること。また、それを担保するシステムとしての「安全確認型」社会の枠組みを構築していくことが必要でしょう。
日本の果たすことができる貢献について、拙い頭ではありますが今後も学んでいきたい、小さな力ではありますができることを果たしていきたいと思いながら、大連の情緒的な街をあとにしました。

2011年8月12日
美濃加茂市にて

<関連リンク>
一般社団法人 日中法務交流・協力日本機構コラム「日本人弁護士が見た中国」
大連賓館公式HP

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*1 スイス政府編『民間防衛』, 2011.4.25, pp.5, 6, 13, 原書房
*2 サミュエル・ハンチントン『文明の衝突と21世紀の日本』, 2000.1.23, pp.58-61, 集英社新書
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by miyatahisashi | 2011-08-12 21:59 | 中国・大連
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