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残された私たちにできること

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7月17日から19日にかけて、再び宮城県に行ってきました。
震災から4ヶ月以上経過、あわせて7回目の訪問です。

18日夜には、東松島市野蒜の方々が避難する松島町の品井沼農村環境改善センターで泊めていただきました。
野蒜は、美しい風景の広がる奥松島の一角、野蒜海岸で知られるところで、十数メートルにも及ぶ「想定外」の津波により、一瞬にして多くの住民の命が奪われてしまったところです。
野蒜での悲劇は、走行中の仙石線が津波の直撃を受けたことや、避難所となっていた小学校の体育館にまで津波が押し寄せ、多くの方が命を落としたことがメディアでも報じられています。

野蒜のある東松島市の死者・不明者は合計で1,153人(*1)。
市民の約40人に一人が亡くなっています。
沿岸部で計算すれば、その割合は更に高くなるでしょう。
ここの誰もが、知人や家族を亡くし、かろうじて生き残った者なのです。
たまたま私は、津波の来なかった岐阜県に住んでいますが、それでもあえて共有できるものがあるとすれば、私たちもまた、日本という船において生き残った者であるという自覚なのかもしれません。

産業経済の側面では、仙台港に立地する企業のいくつかが撤退を決め、あるいは規模(雇用)の縮小を決めているとのことでした。
また、直接的、間接的に影響を受けている中小零細企業があります。
何とか生き残った者についても、これから震災の影響が長期にわたり出てくるであろう状況の中で、切り盛りし、産業をおこしたりといった皆の生活基盤をつくっていくことが大切になるでしょう。
起業家精神が様々な分野で求められます。

インフラが整い、主要幹線道路の沿線や都市部の商業機能が復旧し、報道の頻度も減ってくると、直接被災していない者からすれば、日に日にその切迫感は薄れていきます。
そのような中に現在はあると思います。

19日には、直接大きな被害を受け、自宅が地盤沈下で水没したという海苔生産者の女性にお会いしました。
現在は、仮設住宅暮らしだそうで、そこから再び旗を揚げ、来年には海苔生産を再開するよう手立てを整えているようです。
今は、何とか問屋が保管していた海苔を買い戻し、それを販売し来年への活路を見出していこうと、元気にがんばっています。
東松島市の矢本で生産される海苔は、一つ一つに手間をかけ、丁寧に作られる高品質のもので、皇室献上海苔として知られているようです。
松島町から石巻市にかけての沿岸は、海苔、牡蠣といった海産物の一大産地となっています。
今回の津波では、家屋をはじめ、様々なものが海へと流されてしまいました。
この海をきれいにすることも、これから取り組まねばならないことでしょう。
更に、流されてしまった設備や機械なども再び買い揃えなければなりません。
彼女は、既に機械を見に出かけるなど、復活させる意志を持って日々、奔走しているようでした。

今、この女性のように、様々なレベルで前を向き、再び立ち上がろうとする意欲が多くの場で見られます。
しかし反面、見えない先行き、定まらぬ政府の方針、様々な課題が、その前途に待ち受けていることもまた現実なのです。

今、私たちにできることは何だろうと思います。
これらの意識や行動の変化に対し、私たちが側面的にできることは何かと。
これから、私は、私なりに、そのことを考え、実践を通じてこたえを出していきたいと思います。
また、多くの被災していない方々に、そのような問いかけができないかと思います。

2万7千人以上の方が亡くなり、あるいは現在も未だ不明であるという事実。
日本では、毎年3万1千人以上が自殺している(*2)という事実。
毎年5千人近くが交通事故で亡くなっている(*3)という事実。
イラク戦争では、累計で15万人以上もの方(うち80%以上が一般の市民)が亡くなっている(*4)とも言われています。

これらは全て、想像しがたい数字ですが、テレビで津波の情景を見、その後の経過を見、被災された方々の話を聞いて改めて考えさせられます。
ひとつは、「残された私たちができること」とは何かということ。完璧ではなくともベストを尽くすべく生きていくことが大切ではないかと。
もうひとつは、原発事故、自殺、戦争といった人為的被害を見て思うのですが、絶えず顕在化していく文明や社会の齟齬にどう向き合うかということです。
先人の築き上げてきた文明(思想、科学、技術)や社会(システム・制度・慣習など)は、現在の私たちに多くの利便性をもたらしています。
平均寿命も上昇しています。
職業選択の自由が、才能開花の機会を与えてくれています。
問題は、これからどうなるか、どうしていくかということですが、これら人類の理性や意欲(欲望・願望)が自然に働きかけ、築いてきた文明、それを制度化・構造化した社会、これらが、これから益々、一人一人の幸せに深く根ざしたものとして創造できるか、あるいは、これからの人為的な技術、制度、政治・経済の暴走や失敗に対し、その危険要因を十分に制御できるものなのか、それに対し、人類自身が知恵と自制心をもって挑むことができるかということなのだと思います。

地震、津波、原発。
この複合的な災難から、私たちは、自分自身の生き方について、加えてこの文明や社会のありようについて、忘れないうちに出来る限り見直して、具体的に修正していくプロセスが必要になるのだと思います。
これらの問いかけや努力は、震災からの復興と同様に、永続的に求められるプロセスになるのかもしれません。
生き残った私たちは、助け合い、力をあわせて行動したり、仕組みをつくりなおしたり、知恵を共有したり、この世界を、より深い洞察から、より良いものへ、より平和、安全、安心なものへ、持続可能なものへと改善する努力をすべきで、よく検証し、船なり行き先を変え、旋回する必要もあるだろうと思うのです。

その過程において、私なりにできることを考え、実践していくこと。
それが、3.11を過去のものとして置き去りにしないひとつの姿勢なのだと思います。

5月18日に、私の住む美濃・尾張地域の有志の方々が中心となり「東日本大震災復興支援ネットワーク・もうやっこ」という連携体が立ち上がりました。
「もうやっこ」とは助け合いといった意味の方言だそうです。
「もうやっこ」は、様々な立場を越え、「志」を持つ一人一人の意識、行動、資源をつむぎ、様々な支援活動を通じて新たな出会いや創造(「縁(えにし)」)へとつなげ、社会の絆を強化していこうとの目的で立ち上がりました。
近年、ソーシャル・キャピタル(Social Capital:社会関係資本)、ソーシャル・ファブリック(Social Fabric:帰属意識を持つことができる社会)といった言葉が多く聞かれるようになりました。
今回の震災を機に、絆で結ばれた地域社会、あるいは地域と地域が日本を網の目のように包み、それが、新たな日本の底力、停滞感のあった社会や「空気」を払拭する大きなきっかけとなること、更にはこれらの価値観や学習が、東アジア、あるいは世界全体に有益な波及効果をもたらすことができるようになると信じています。
また、その過程において、微力ながら私自身も貢献したいと思うのです。

2011年7月23日
岐阜県美濃加茂市にて

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*1 「東松島市ホームページ」(2011年7月19日現在統計)
*2 「警察庁統計」警察庁(平成22年データ参照)
*3 「交通事故統計年報」警察庁(平成21年データ参照)
*4 “What the number reveal”, 23 Oct. 2010, ‘Iraq Body Count project’ (2003 – 10 Oct. 2010 data)
by miyatahisashi | 2011-07-23 22:43 | 東北・宮城
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