政策学校「一新塾」のメルマガにてご紹介いただきました

私が嘗てよりお世話になっている政策学校「一新塾」のメールマガジンにて、少し、紹介をしていただきました。
まだまだ至らない私ですが、これからも宜しくお願い致します。

2012年8月25日
岐阜県にて

以下、転載。

『いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった!』~株式会社デルタトラクターを起業して~
一新塾第12期・22期「名古屋」地域科 宮田久司

●長かったフリーター時代
2002年、大学生として悶々とした日々を送っていた私は、新たな糸口を見つけようと一新塾の門を叩いた。
名古屋のミーティングに足を運ぶと、真剣にビジョンを語り、現実社会に働き掛けていく大人達の姿があった。そして、これこそ私が求めていた環境だと思った。
それから大学を中退し、2年半のアルバイト生活を送った。
先の見えない毎日に終止符を打ったのは、ある公共施設で見かけた「観光まちづくり」のワークショップのチラシだ。元々、地域振興に関心のあった私は、早速アイデアを持って愛知県犬山市にあった日本ライン広域観光推進協議会に聞き取りと提案に行き、その半年後、縁あってその職場にお世話になることとなった。

●地域だけで若者は食べていけない
日本ライン広域観光推進協議会と、その後移籍した美濃加茂市役所商工観光課に在職した約6年間、私は地域の現場に入り込んだ。
職責として、住民ワークショップ、イベント、展示会でのPR、特産品開発などを担当させていただいただけでなく、プライベートでも酒蔵と大学相撲部がコラボした商品企画や、中山道に関するイベントやフリーペーパー発行など、様々な事に関わり、勉強させていただいた。
一方で、これらの取り組みについては、反省点もある。
一つは、衰退が始まった地域に対して、行政が意向を持ち、職員が業務として担当し、予算を付け、ワークショップをやったとしても、結局、短期的なアウトプットや自己満足に終わってしまったという点。
二つ目は、地域のまちづくり活動に参加する場合、その活動以外に、広域的に発信できる別の本業を持ち、まちの活性化と自身も含めた利害関係者の利益とを明確に結びつけることが出来ない限り、その取り組みは持続しないという点である。
近年、まちづくり活動もコミュニティビジネスの一環として取り扱われているが、実際には相当な難しさがあると感じる。

●中国との出会い
市役所在職中は、新しい出会いもあった。同僚の中国人の繋がりから、当時、新たに着任された総領事(名古屋)とお会いする事もできた。2009年の秋。中国人観光客の誘致について、注目されはじめた頃だった。
総領事は、観光を通じた人的交流の促進に意欲を持っていたこともあり、私は美濃加茂市から白川郷、飛騨高山、下呂温泉なども含めた岐阜県の魅力を知って頂くため、観光視察と、各首長との面談を手配した。
それが一つのきっかけとなり、大連電視台の取材手配、行政視察の対応、勉強会の開催、ミッション団の派遣、市内事業者の海外展開動向調査や対応施策の検討などを進め、それまで取り組まれていなかった領域についても、商工会議所と共に取り組むべく、手はずを進めていった。
更に、美濃加茂市には日系ブラジル人を中心に、ピーク時には全人口の12%以上を占める外国人登録者数があり、それを活かした共生、交流、産業などの横断的なプログラムが必要だろうと、戦略を提示し、新ポストの設置も提案した。
しかし、こういった振る舞いは、一部の有力者からは煙たがられ、圧力がかけられていたことも事実だと思う。まだまだ出来る事は沢山あるにも関わらず、もはや何も出来ない状況に無力感を感じ、退職した。

●地域と世界をつなげる
退職後は、観光行政に携わっていた思いや人間関係もあり、主に中国の東北地方への観光プロモーションや視察アレンジなどに取り組んだ。
特に地元である岐阜県の魅力を、その地域の中だけに押しとどめておくのではなく、現地の生活者に紹介し、外の目や価値観によって、逆に磨かれ、一層の輝きや価値をもたらし、活性化へと結びつけることができると思い、活動を続けてきた。
日本では、どの土地にいってもインターネットがつながり、家電が充実し、きれいな車が置かれている。そういったグローバル経済から大きな便益を受け、グッズを揃えているにも関わらず、地方の側では、世界とのより良い結びつきや、貢献する手段を持ち得てない場合、どこで経済的な整合性を保っているのだろうか。地域と世界をつなげる「何か」が必要なのだと感じる。
勿論、そのような結びつきは、世界平和や共生、戦略的互恵関係の構築といった社会理念にもつながるだろう。

●モノを通じてコトへとつなげる
しかし、退職した事は良いものの、厳しい現実にも直面している。
誘客プロモーションや視察のアレンジは、見えない価値を提案するものであり、既存の業界の層も厚く、別の切り口が必要だった。
そんな中、ある方から直接観光誘客を進めるのではなく、モノを通じて直接コミュニケーションできる環境をつくり、そこから交流につなげていけば良いのではないかと助言を頂いた。モノを通じてコトへとつなげる、確かにそうだと思った。
また、自分ひとりの知恵だけでは限界があると考え、一新塾の仲間の協力も頂き、今年の6月に株式会社デルタトラクターを設立した。
このようないきさつも踏まえ、今は、来年に、中国大連市にひとつのコンセプトショップを開店するべく準備に動いている。
全てが未経験であるが、今のところ引き返す先も無い。人生の必然と思い、前を向いて挑戦し、成長し、貢献したいと心底思う。

転載は以上。

<関連リンク>
政策学校「一新塾」
メールマガジン・サイト
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# by miyatahisashi | 2012-08-25 21:21 | その他

設立趣意書

世界と地域をつなぐプラットフォーム事業の展開に伴い、6月4日に「株式会社デルタトラクター」として、新たな一歩を踏み出します。
今回、改めてその設立にかける思いを設立趣意書として整理しましたので、以下に紹介させて頂きます。

——
驚くことを成し遂げる小さなチーム。
シリコンバレーを中心に起こった情報革命は、小さなチームのチャレンジが大きなエネルギーを産み、偉大な革命を牽引した。
我々の小さなチームは、世界と地域を結びつける交流の革新を通じ、世界の人々の旅行や消費のあり方、投資のあり方にひとつの良い、インパクトを与える。
このインパクトは、中国からアジア、そして世界へと広がり、グローバルな価値をもたらす。
切り口となる観光や高付加価値産品は、いわゆる文化消費である。
文化とは、耕し豊かになるとの言語的背景があり、我々の事業は、人々の心や身体を豊かにする普遍的価値を持つ。
文化を、文化として見出し、編集し、伝えるプロセスは、例えば千利休が、あるいは柳宗悦が、あるいはその思想と共に岡倉天心、新渡戸稲造や鈴木大拙らが、その手により、世界に広めた。
我々の事業は、それら先人の努力の延長線上にあり、各地に引き継がれ、存在する文化を見出し、深くに掘り下げ、広くに伝え、直接文明を豊かにする文化的な消費活動や、投資活動へと結びつける。
その結果、世界中の一人一人が満たされる、地域が生きる、前向きな交流が友好を育む。
我々は、偉大なチームにより、その飽くなき追求をし、世界に、文明に、経済社会に、人々の暮らしにより良いインパクトを与えたい。
この新たに仕立て、漕ぎ出した船は、世界と地域、ひととの縁を結び、つながりを育む、交流革新を牽引する、舵取り役であり、フロンティアでありたい。
——

2012年4月30日
岐阜県美濃加茂市にて
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# by miyatahisashi | 2012-05-01 01:37 | その他

社名の由来

昨年11月末に退職し、フリーの立場から使用していた「デルタトラクター」の屋号ですが、6月の株式会社化を目指し、準備を進めております。
現在、事業計画やその後の体制について構想を整理しておりますが、この屋号の由来について、記載したいと思います。

「デルタトラクター」という屋号が生まれたのは、実は今から12年以上前の2000年1月に遡ります。当時、高校2年生だった私は、前年までは、まじめな進学クラスにいたのですが、全く勉強をしなかったばかりか、その教育方針に異論を唱えるという、面倒くさい生徒だった為、最も出来の悪い(失礼!)人たちが集まるクラスへと行くことになりました。
そこでは、授業中にタマゴが飛んで来たり、気の弱そうな先生をいじめたりと、何から何まで騒がしい動物園のような(失礼!)クラスだったのですが、ふと、このような環境の中で、凄く真っ当でポジティブなことをやり始めようと、うかつにも思い立ったのがはじまりでした。

それは、例えば教室をペンキで塗り、明るい雰囲気を作り出すことを試みたり(今思うと、勝手に塗って、その教室だけ浮いていただろうし、どうかと思うのだが)、サッカーチームを部活とは別で立ち上げ、正規のサッカーチームの横で、練習しはじめたりと、思えば好き勝手なことをしていました。
その時のサッカーチームの名前が「デルタトラクター」(通称「デルトラ」)。
当時は、サッカーチームを基軸に、社会教育や福祉の視点を盛り込んだドイツ型のコミュニティクラブをつくるというのがひとつ、目指す方向として掲げていました。

エネルギーあふれる高校生たち。
そのエネルギーを教師への不満や、自転車を盗んだりといった事で終わるのではなく、前向き且つ創造的な方向に向けたい。
こんなどうしようも無いと思われている人間たちでも長所があり、創造性がある。それを引き出し、面白いことをして、一人一人の未来につなげたい。
それが、はじまりです。

中学校時代の体験が、私にこのような考えをもたらしたのかもしれません。
私の居た中学校は、とても厳しく、生徒は教師に絶対服従。校庭にガムの紙が落ちていたら全校集会といったかなり管理主義的な風土でした。
教師に反抗しようものなら…、これは私の個人的な体験なので一概にどうかは分かりませんが、狭い部屋に長い時間閉じ込められ、学校が終わってから空いた教室でその学年の教師達に取り囲まれ、「指導」という名目で一人ずつから叱られ、教師によっては殴る蹴る、髪の毛を引っ張るなどの暴行を受ける。そこには、一種独特の世界がありました。

これは、私が中学1年生の時の話。
それから時が経ち、3年生になったときの教室には、茶髪の生徒が現れ、廊下には自転車が走り、授業は度々中断ということにまでなってしまったのです。
内外で悪い人たちと接し、また体格もよくなった生徒達は、ここで一気に形勢逆転です。
そのような人間の中には、私は個人的に親しくさせていただいていた仲間や、小学校からの友達も居ました。
決して悪い人間ではないのです。様々な面で能力のある人間、良い性格の持ち主がそのような中にも沢山いたのです。いや、むしろ中途半端にまじめなやつより真っ直ぐだったかもしれません。
何が、彼らをそのような方向へと変えてしまったのでしょうか。

「デルタトラクター」の名前の由来は、毎回、名刺交換した方などに話すのが恥ずかしいのですが、「デルタ地帯を耕すトラクター」がモチーフになっています。
実際にデルタ地帯でトラクターが土地を耕しているのかは知らないので、完全に妄想なのですが、肥沃な土壌であるといわれるデルタ地帯を耕すトラクターの如く、潜在的に肥沃である個人や社会を耕し(可能性を引き出し)、豊かな社会をつくっていくんだ、よりよい未来をつくっていくんだという、高校時代の純粋な意気込みが、そこには込められています。
抑圧からの開放であり、それは創造的な開放です。
自由の獲得であり、自己制御への進歩です。

最近知ったことなのですが、日本語で文化と翻訳される「culture」という英単語にも、この「耕し豊かになる」という意味が、語源に含まれているのだそうです。
「culture」の語源は、耕すを意味するラテン語の「colere」。英語としては、「culture」のほか、耕すを意味する「cultivate」、農業を意味する「agriculture」などにも派生しているのだそうです。

「地域の潜在的な力を引き出し、個人の幸福と未来社会の創造につなげる」。これが、ちょっと長ったらしいですが、当社の理念です。
先ずは、中国に日本の文化をより魅力的に伝え、相互の幸福な出会いに結びつけること、その為にいかなる取り組みをすべきか。今、その具体的なビジネスモデル構築の準備に取りかかっているところです。
どうか、これからも「デルタトラクター」を宜しくお願い致します。

2012年4月14日
岐阜県可児市にて
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# by miyatahisashi | 2012-04-14 21:05 | その他

「第三の観光目的地」を目指して

飛騨市、宮城県、大連市、東京と遊牧民のような放浪生活も終わり、やっとのこと、帰宅しました。一息つくと、やはり疲労感が襲ってきます。
様々な出会いや、ご指導いただいたこと、あるいは失敗やこれからの課題に直面していることに対し、感謝しながらも、自分自身、適正であらねばならない、成果を挙げなければならないと感じております。

大連では、3月10日と17日の2回に分けて、岐阜県の観光を紹介するテレビ番組が、地元の大連電視台や様々な関係者のお力添えにより、放映されました。
今であれば、ご存知の通り東京と大阪を結ぶ、いわゆるゴールデンルートと言われるもの、そして「非诚勿扰」という中国の大ヒット映画で一躍有名となった北海道の二つが観光ルート、目的地としては主流です。
また、これに最近では、一度発給されると3年間は観光目的での日本への入国に利用できる観光マルチビザの発給対象地になっている沖縄が浮上しています。
東京—大阪ルートであれば、大連でも6,280元(現在のレートで約8万2千円)程度のものが、北海道であれば9,000元弱(約11万7千円)のものが、一般の企画募集型の旅行商品として出回っています。
沖縄県については、大連市内でのラッピングバスの運行や、旅行会社等の招聘事業など、県を挙げて積極的なアピールがなされていますが、これから、どう魅力ある商品提案が出来るか、これからも注視していきたいと思います。
その他、例えば大阪—奈良—伊勢といったルートも売り出されておりますが、いずれも、2つの主力ルート、目的地と比較すると、いわゆる「第三の観光目的地」というのは、未だ確立されておらず、飛騨高山、世界遺産白川郷、北アルプス、下呂温泉、長良川鵜飼、岐阜城、美濃和紙、美濃焼など多様な資源を有する岐阜県も、今後の取り組み如何によっては、「第三の観光目的地」として、訴求し、誘客することは可能である、と私は考えております。

外務省在瀋陽日本国総領事館在大連出張駐在官事務所の統計によると、2011年の観光目的でのビザ発給件数は、震災の影響で前年比マイナス39.1%の8,928人(*1)(数値は速報値)となっていますが、今後の消費生活の向上や、震災の影響からの持ち直し、ビザ発給要件の緩和などに伴い、増加していくことは確かであると思います。
勿論、そこに度々おこる外交問題の影響というカントリーリスクがあるということも間違いないのですが、機会志向でなければ、中国の皆様に日本を楽しんでいただくということ、あるいは日本の観光地や日中の関係事業者のビジネスといった、得られるものも得られません。
観光交流が、双方の経済発展や友好関係に結びつくという波及効果もあるのですから、大連に向けても、あるいはその他の中国の地域に対しても、そのアプローチについては、積極的、機会志向、且つ賢明に取り組むべきであるだろうと感じております。

岐阜は、空港がありませんので、大連の場合、富山空港、愛知県の中部国際空港、あるいは成田や関空を利用することが不可欠となります。
従い、他の地域の資源(魅力)をうまく組み合わせ連携協力していくことが可能です。
最近では、国土交通省中部運輸局が、中部の縦のルートを広めることを目的とし「昇龍道プロジェクト」なるものが立ち上がりましたが、これも、その間には岐阜県が入っており、アプローチは少し違いますが、結果としては類似したものとなるのでしょう。
私どもも、商品造成に関する調整や、プロモーション、営業活動を、極力積極的に展開し、先ず大連市場での定着を図りたいと考えております。
これからの一歩一歩、また観光分野での日中合作、あるいは長期視点に渡る取り組みが求められることでしょう。

2012年3月25日
岐阜県可児市の自宅にて

<放映画像リンク>
聚焦岐阜—飞弹篇
聚焦岐阜—美浓篇

<関連リンク>
非诚勿扰
沖縄訪日観光客を対象としたマルチビザの発給
昇龍道プロジェクト

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*1 外務省在瀋陽日本国総領事館在大連出張駐在官事務所「2011年査証発給状況」, 2012.2
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# by miyatahisashi | 2012-03-25 19:33 | 中国・大連

「小野駅前郷」にみる地域の再生

昨年末12月28日から、新年の1月8日まで、宮城県東松島市「陸前小野駅」(現在運休中)付近にある小野駅前応急仮設住宅に滞在し、そこに住む人が中心となり、復興に向けた活動の最初の立ち上げを支援するため、滞在させていただきました。
3.11以降、地域の再生、日本の再生ということについて、特に10ヶ月経ち落ち着いて来た現時点で、じっくりと取り組む時期に来ていると感じます。
これからの復興プロセスが、地域の再生、日本の再生と大きく関わってくると思っています。
現場レベルにおいては、ハードと同時にソフト、内外の人の関わりの中で、いかにしてより効果的に、コミュニティや地場産業の再建を進めて行くか、その「時計をつくる」プロセスが、今から重要となるでしょう。

ここ小野駅前応急仮設住宅は、約80世帯300人。奥松島として知られる東松島市旧鳴瀬町の宮戸島、東名、野蒜、浜市などの沿岸地域で生活していた方々で多くは構成されています。これらの地域は津波の被害も甚大で、今後移住が必要な対象地のひとつでもあります。
私たちは震災後の支援活動のなかで、松島町「品井沼農村環境改善センター」にて避難所生活を送っていた野蒜新町地区の方々との交流ができました。仮設住宅の切り盛りを中心的に担っているのは、自治会長で新町地区に住んでいた武田文子さん。これから、仮設での生活者が目標を持って生活し、各々の活躍の場をつくりながら復興に結びつけていきたいとの意欲を持ち、以前岐阜県池田町に招かれた際、「世界遺産・白川郷」にご案内したところ、住民が助け合いながらも観光で生計をたてているこの世界遺産を見、「あの仮設にもこのような発想が必要」との印象を持ち、「『小野駅前郷』をつくらなければならない」との着想に至りました。
今回、この「小野駅前郷」の初動のプラン整理、連携体制などの基礎をつくるため、うかがわせていただいたということです。
この「小野駅前郷」プロジェクトは、現在のところ、「①現在観光マップ制作(現在の奥松島の魅力を紹介する)」、「②奥松島ツアーガイド」、「③道の駅機能」、「④観光案内所機能」、「⑤特産品企画開発」という5つの活動プランを段階的に、且つ多くの皆様の協力を得ながら前進させていく計画となっており、小さな一歩ですが、前に進み始めました。

以下、この「小野駅前郷」プロジェクトを通じ、地域の再生(あるいは創造)という観点から、3つのキーワードに基づき、見解を記述します。
1.コミュニティと専門性・特異性(横軸と縦軸)
2.主体の確立・場の形成・協業
3.多元的つながりとフィードバック

1.コミュニティと専門性・特異性(縦軸と横軸)
仮設住宅での生活は、コミュニティの形成が生活や人命を左右します。
小野駅前応急仮設住宅は比較的近い地域の方が集まり、一世帯あたりの構成人数も多いため、お年寄りは集まってひなたぼっこをしながら談話し、また隣近所を配慮しながら生活する姿が、自律的に形成されています。
一方で、小野駅前と交流のできた仮設住宅の一つ、仙台市太白区の「あすと長町仮設住宅」については、約230世帯450人、独居の方も多く、宮城県内各地、岩手県、福井県など様々な場所から入居者が集まっており、隣にどこの誰が住んでいるのか分からない状態、そして、自治会も立ち上がっておらず、入居者情報も入手できないという完全に個別化された仮設住宅となっています。ここでは、そのような状況に危機感を抱いた鈴木良一さんら住民有志が「運営委員会」を立ち上げ、なんとかコミュニティをつくっていこうと奮闘されていますが、そのような努力にも関わらず、やはり犯罪(迷惑行為により逮捕者が2名)や、危うく孤独死が出るという状況などが発生しています。
同じ東松島市の「グリーンタウンやもと応急仮設住宅」も大所帯で、市内外各所から人が集まっており、一人暮らしも多く、殺人事件や孤独死が発生しています。
このような実例から、コミュニティ、助け合い、「絆」といった文化・風土が生活空間において形成されているか否かが、社会福祉の観点から重要であるということことが良く分かります。
一方で、コミュニティが形成されているというだけで若者は食べていけません。
現代の高度な医療、発達した交通網、通信技術や機器、魅力あるコンテンツなどの製品やサービスの創造には、過去からの蓄積と世界規模での経済的連携があってはじめて成立するものですが、これら高度に文明化された製品やサービスを消費する上では、相応の支出が求められます。
しかし、特に地方のコミュニティや、コミュニティ経済に従事する労働において、それらの全てを受益するに足る経済的価値を創出しているといえるかというと、実際のところ疑問です。
日本は、「一億総中流」と言われる認識の中で、国家も、最低賃金の保障、農家への保護政策、租税と再分配などの制度・機能の発揮により、国民の比較的均等な消費生活が支えられてきましたが、ボーダレス化とアービトラージ(国際的な価格水準の差を利用して収益の確保や収益構造の効率化・最適化を図る動き)が前提となり、資本と生産が偏重し始めた現代において、もはや制度や財政といった国家の機能だけでは、富の再分配を賄いきれないということが、失われた20年の中で確実に表面化しているのではないかと感じられます。
国際協力機構(JICA)理事長の尾形貞子氏は、「経済運営において富の分配に良識が働かなくなった結果かもしれない。自由な社会だけど、一部の人だけ裕福になる。これまで有効だった税制という手段だけでは再分配ができなくなってきた。」(*1)と、租税国家と自由市場主義経済に依存した社会の現状と限界について言及しています。
議論されている増税は、この事態を延命するための一つの応急措置策となるのですが、根本的にこのメカニズムが変わらない限り状況は快方に向かわないのではないでしょうか。
とるべき方策は、「①地方がそれぞれの専門性・特異性を高めグローバルな価値を提供する力をつけること」「②経済的な価値換算のパラダイム(基準)を転換すること」「③格差や生活水準の多様化を人々が受容し幸福に対する価値観の多様性を見出すこと」という3つがあると考えていますが、人々や社会システムが順応していくことがこれから行く先に、待ち構えているのではないかと思います。
また、これらの順応プロセスや努力の中で、例えば、都市と農村といった地域間の相互依存性を加味した経済運営を多様なレベルで図り、「不等価交換」を緩和(*2)していくことなどが一つの視点になる、特に被災地での復興プロセスと被災からの克服において、試されている事柄であると考えております。
地域レベルでの努力においては、「専門性・特異性を高めグローバルな価値を提供する」動きを地域再生(あるいは創造)における縦軸、コミュニティの形成を横軸とし、その双方を多元的に深化させ、内外の関係性を強化し、相乗効果を高めることで地域は豊かになると考えています。そのための都市戦略(被災地であれば復興戦略)が必要となります。
今回、「小野駅前郷」プロジェクトを一つの入り口とし、奥松島の復興、宮城の復興、さらに支え合う地域同士の連携 ”Networked States of Japan.” がうまく融合したとき、日本の再生にも光明が見えてくるのではないかと考えています。

2.主体の確立・場の形成・協業
私は被災者ではありません。
現段階では岐阜に戻ればそこでの生活があります。しかし、被災した小野駅前応急仮設住宅に住む住民は、そこでの生活を次第に再建していく必要があります。
中小企業の経営者であれば、ダメージを受けた事業なり事業体を再建する必要があり、そこから逃れることはできません。いずれかの段階で、全国的な支援の手を離れ、自立する時期が必ず来るのです。
確かに外部から来たひと、資本、企業などが進出し、その土地の経済活性化や雇用の確保に寄与することはできるでしょう。
しかし、そこに依存するだけで復興を果たしたとは言えないと思います。
地域の方々や地場産業などを主体に置き、その内発的な意思と力を引き出し、外部の支援の輪、連携の輪とを多面的に結びつけることが必要になるのだと考えております。
現在、小野駅前郷の主体となっているのは、かつて新町の住民だった仮設住宅の7名。
みなさんが個性や能力を持った個人なのですが、復興事業を構想し、具体的に進めていくというプロセスに関して、その手立てを持っている訳ではありません。
そこで今回は、話を聞き、構想イメージを引き出し、数枚の資料に整理し、ともに関係しそうな方々に対し、支援協力の呼びかけをしてきました。
「小野駅前郷」構想は、現在のところ「絵に描いた餅」です。しかし、そこに主体となる住民が中心にいながらも、周辺地域の方、宮城にいる意識の高い支援者や専門家、あるいは全国の支援者や専門家の参画する余地をつくり、相互の意欲と能力を引き出し、支援者は、「私にできること」でバトンの引き継ぎができる「場」を形成することで、小野駅前郷自体のエネルギーも拡張し、「絵に描いた餅」が、オマケ付きで現実化してしまうということに繋がるのではないかと期待を抱いています。
「①主体者の内発的な意思や力を引き出すこと」、「②支援者が参画しやすい場をつくること」、そして「③各位ができる範囲で能力を発揮すること」でこの小野駅前をはじめとした奥松島一帯の復興に、一歩、近づいていくことができると信じています。

3.多元的つながりとフィードバック
今回の「小野駅前郷」の現場での取り組みにあたり、多様なレベルでの連携、情報共有をし、気にかけていただき、サポートを頂いております。
地域内での連携、仮設住宅間の連携、行政との情報共有といった東松島市や宮城県内での連携共有。政策学校一新塾や東北まちづくりオフサイトミーティングのような学習意欲の高い人材の集まるコミュニティの連携共有。京都大学で行なわれた財政研冬シンポジウムのような学術コミュニティ。山形や宮城の学生ネットワーク。あるいは岐阜新聞など含めた岐阜県内の連携網。
地域、各種専門家、国や県、民間企業、NPOなど多様な関係者とのつながりや情報交換、連携、各位が役割を最適に発揮するための活動とフィードバックの共有を意識して進めています。
このような「多元的つながり」を持とうとする認識は、被災地で意識的に動き始めている人々や団体の中では一般化しはじめているようです。逆に長期的に復興支援を進める上では不可欠となるでしょう。
震災復興と地域再生、さらには日本の再生という共通目的において、様々なステークホールダーが情報に基づきアメーバのように自律組織化しているとも言えるのではないでしょうか。
これらの様々なレベルでの繋がりが広く、濃淡も多様であれば、より大きな効果が期待できる。「小野駅前郷」も絵に描いた餅ではなくなる可能性が高くなる。学術的にも良いフィードバックが得られる。復興の為の政策にもフィードバックできるだろう。それらが更なる相互依存、相乗効果を高める結果となる。ゆるやかな多元的つながりが情報(目的)に基づき自律組織化を図り、各位の成果をあげながらも全体の復興や再生と結びつく様は、まさにネットワーク型(つながり)社会の最大の効用と言えるのではないでしょうか。
ガバメント、ガバナンスからマネジメントへ(*1)と言われる地方自治の現場においても、今後、その仕組みや視点を学習・転用し、公共性を伴う地域の経営をオープンにしていく時期に来ていると考えています。

今回の復興プロセスを共有させていただくにあたり、私なりに、特に上述した3点を中心に現場レベルでの取り組みと社会システムや社会科学分野での貢献にも結びつけていきたいと考えております。「小野駅前郷」をどうぞよろしくお願い致します。

2012年1月8日
宮城から東京への車中にて

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<関連リンク>
「小野駅前郷」公式ブログ
あすと長町仮設住宅
政策学校一新塾
東北まちづくりオフサイトミーティング
みまもり隊
Smile Trade 10%
海野進「地域経営研究所」

---
*1 日本経済新聞9面「日曜に考える」, 2012.1.8
*2 広井良典『創造的福祉社会—「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』, 2011.7, pp.118-124, ちくま新書
*3 海野進『地域を経営する―ガバメント、ガバナンスからマネジメントへ』, 2009.4, 同友館
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# by miyatahisashi | 2012-01-16 22:31 | 東北・宮城

震災復興と地域再生(商店街、地場産業、仮設住宅)

11月21日から23日まで、9回目の東北への訪問を終えました。
今回は、山形と宮城。特に22日は石巻と東松島の現場をまわりました。
先ず、山形大学・東北芸術工科大学のメンバーらが進める「Smile Trade 10%」(以降ST10%)経済復興プロジェクト「START」の一環で、石巻市ことぶき町通り商店街の関係者の皆様と面談。
その後別れ、お付き合いのある高砂長寿味噌本舗さんと面談。
そして宿泊は、東松島市小野駅前仮設住宅集会室。この仮設住宅が、これからの宮城での「拠点」となります。

商店街、地場産業、仮設住宅。
それぞれが全く形態の異なるものですが、これら全てが地域を構成する主体となります。
そして、「震災復興と地域再生」の担い手にならなければならない主体です。
更に、これから継続し、多面的な支援や連携が必要となる対象でもあります。
今回は、これらの主体についての、関連する取り組みと現状について、記載したいと思います。

1.ことぶき町通り商店街(宮城県石巻市)
今日、特に地方都市における商店街は、過渡期を迎えております。
鉄道の利用形態の変化、車社会と基幹道路の拡張、郊外型大規模小売店やロードサイドのフランチャイズ店舗の増加などに伴い、各地における地域の経済的ボリュームや客足などにおいて、相対的な位置づけが低下し、更に後継者問題など併せ、閑散とした状況が続いているというのが、現状の多くではないかと思います。
一方で、経済産業省以下、県や国の進める中心市街地活性化施策などに併せ、インフラ整備や補助金などが比較的つぎ込まれており、自らの商売における商品やサービスの価値を見直し、ビジネス展開を図る、あるいは商店街としての「場」の価値を高める努力や工夫を、主体的に展開するということが、地域によって大きく差があるという実情がある、というのが現状の認識としてあります。
時に、「殿様商売」だと言われてしまいがちな商店街ですが、一方で存在意義をもたせることも、確かに可能であると考えます。
ことぶき町通り商店街が、今日までどうだったかについて、私は現段階では十分把握しておりませんが、震災後、再生する強い意志を持ち、方法を模索していることは、対話の中で伝わってきました。
この商店街では、同行した、青山学院大学の塚本俊也教授を中心に学生が中心となり展開されたことぶき町通り商店街の「石巻街路復興支援事業」の取り組みや関係を引き継ぎ、連携し、経済復興に取り組んでいくという決意で、ST10%のメンバーたちは、ヒアリング、意見交換、そして学生によるプランの提案がなされました。
それらの提案がどう映ったか、未だ何とも分かりませんが、これから現場に入り、より深く対話し、考える中に、先に進む道があると感じております。
プロジェクトに関し、私が関われること、できることは微小であると思いますが、「震災復興と地域再生」という同じ目的のもとに動く同志でもあり、ぜひできる範囲で連携協力していきたいと考えております。
商店街に対する固定観念を打破し、地域再生の一つの拠点として、関係者とともに街が活きることを願い、石巻を後にしました。

2.株式会社高砂長寿味噌本舗(宮城県石巻市・東松島市)
石巻の本社が被災した高砂長寿味噌本舗は、内需が見込めない現状の中、地場の産品と味噌や醤油を組み合わせた商品開発を積極的に進め、外へと販路を拡大させることに尽力されています。
震災からなんとか立ち上がり、地域の特色ある産品を生産する経済主体として、地域経済を動かす役割を、これらの企業は担っています。
そのためには、外貨を獲得する為の活動、すなわち「外商」活動が必要となります。
ご縁もあり、これらの商品を岐阜県で販売してきた経緯から、これらの地場産品の生産者を積極的に支援し、農商工の連携を進め、中長期に渡る復興の担い手として、その外商力の拡張とその恒常化が、「震災復興と地域再生」には不可欠であると認識しております。
震災から8ヶ月経ち、多くの他の地域の人々の、復興に対する意識は確実に弱くなっています。その現状を踏まえ、後々まで自然に東北の力に繋がる復興手段を見出さねばならないと考えています。
今回の訪問は、私の立場が変わることも伝え、その上で、一層復興支援に注力すること、また、外商強化に向けた協力を進めて行くことなどについて、意見交換させていただきました。
現在、この延長線上に、ひとつ企画を考えています。

3.小野駅前仮設住宅(宮城県東松島市)
小野駅前仮設住宅では、品井沼(松島町)の避難所の時からお世話になっている、東松島市野蒜新町地区の方が責任者を務め、がんばって切り盛りをされています。
今回も、1泊2食をいただき、夜は、岐阜県美濃加茂市役所から出向している職員も含め、食事を頂きながらお話をしました。
野蒜は集団移転が予定されているところ。どこにどう、また費用面や権利面も含めて、先行きが見えない中、不安と過去の悲しみを抱え生活されています。
これから寒くなり、仮設住宅にこもる方も出てくるのではないか、ふとした時に自殺者が出るのではないかなど、心配な面も抱え、なんとか仮設住宅での生活やそこに住む方々の状態をより良くしたい。そのような思いをもって、葛藤しながら毎日をおくってみえることでしょう。
なかなか自分たちだけで立ち上がることも、働き掛けることもどうすれば良いか分からない。しかし、自分たちが主体的に立ち上がらなければ、受け身のままではダメだ。そのような危機感をもっています。
住民が問題解決をし、地域に対し前向きな働きかけをして行くことができる「プロジェクト」が必要。それを進めていきましょう。
その責任者の方と、意気投合しました。
12月の終わりから、少し東北に滞在する予定をしています。
そこで、これからお世話になる(つまり東北のベースキャンプにさせていただく)お礼として、私も、ここで、主体的に立ち上がるプロセス、その手段としての「プロジェクト」の計画立案、遂行において、ファシリテーターとして、お手伝いさせて頂くことになりました。

商店街、地場産業、仮設住宅と、それぞれ対象は違いますが、東松島から石巻にかけ、ひとまず5年、私なりのスタンスを見つけて関わっていこうと思い、東北の地を後にしました。

「震災復興と地域再生」。
このタイトルは、震災以降、財政学、社会関係資本や地域再生といった観点からアドバイスを頂いている京都大学の諸富徹教授が主催するシンポジウムのタイトルでもあります。今度、ここで今までの認識を報告させていただく予定です。
これからまず5年間、取り組む必要のあるキーワードです。

2011年11月23日
名古屋に向かう車中にて

<関連リンク>
Smile Trade 10%
青山学院大学ボランティア・ステーション
石巻「ことぶき町通り商店街」
高砂長寿味噌本舗
財政研冬シンポジウム「震災復興と地域再生」
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# by miyatahisashi | 2011-11-25 00:23 | 東北・宮城

新たな船出 – ‘Social Platform Business’ にかける思い

「最高のキャリアは計画して手にできるものではない。自らの強み、仕事のやり方、価値観を知り、機会をつかむよう用意をした者だけが手にする。なぜならば、自らの得るべきところを知ることによって、たんなる働き者が、卓越した仕事を行なうようになるからである」- Peter F. Drucker (*1)

3.11からの動き、あるいは中国大連市との交流の中から、私は今、務めている岐阜県の美濃加茂市役所から手を引き(辞め)、私のキャリアにとっての新たな未来へと一歩を踏み出すことを決意しました。

3.11においては、結果的に8度、宮城に行きました。人の生き方、これからの価値観について、あるいは経済・社会のパラダイムについて、私は問われていると感じました。
中国大連との接点ができる中で、現在の世界の地政学的動向や平和に対する認識を深めることができました。大連にも気づいたら昨年4月23日を皮切りに6度、足を運んでいます。そして、日本のこれからの産業・経済について、あるいは民族的・国家的アイデンティティの課題についても、一層問われることになるでしょう。
このような中、世界はどうなるか、日本はどうするか、地方はどうするか、そして個人としてどう動くかについて、今までの固定観念やしがらみを飛び越えて、考え、動かなければならない時機に来ているのだと思います。

未だに地域は俯瞰的、大局的、フラットでフレキシブルな視点や発想ではなく、立場、建前、体面を確立することによりタコツボ化(4T)されたムラ社会(「タテ」社会)により成立する既得権益のしがらみと支配の中、良く分からない「身内の論理」で動いており、様々な人財に由来する意欲やアイデア、行動が抑圧されているという現実があります。
先日、私自身、身を以てこの現実に直面し、痛手を被りました。

「日本の社会はいま問題になっているいじめと同じで、みんなが、上の人にいじめられ、しごかれて、「タテ」社会で失敗を避け、ゴマをすりながらここまできたという実感を無意識にでももっていますから、下の世代に対してそれを無意識に繰り返してしまいます。(中略)「タテ」社会では横に動ける可能性が少ないから無意識に、上にゴマをすり、へつらいはじめるのです。」(*2)

平成20年10月まで内閣特別顧問をされていた黒川清氏の指摘は、人口5万人程度のこの町にも大いに当てはまると思います。
美濃加茂にも、このような「タテ」社会があり、あるいは役所という組織にもあります。それは、硬直化され、根深く確立されているものだと実感しました。
そしてこの町の、天井を知りました。

訳の分からない「身内の論理」に同質化し、甘んじていては発展性がありません。
愚痴も増えます。人を信じることができず、謀略的になってしまうかもしれません。ゴマをすり始め、卑しくなるのかもしれません。目的を見失い、必要なところにエネルギーを費やし能力を高める努力をしなくなる怖れもあります。人格の破壊の予感と兆候を私の中に見出してしまったのです。
それは、個人のみならず、地域も、あるいは国としても同じでしょう。
それに気づき、立ち上がった個人、地域、国が、挑戦と努力の末に勝ち取るものがある、またその逆としての衰退もある。
その分岐点に今、来ていると、だからこそ、今までの固定観念やしがらみを飛び越えて、考え、動かなければならない時機なのだと思います。
そして、私は、現況の環境や立場から決別し、新たな見地から未来を創造する主体としての個人として、転身することにしたのです。

これからも、東北のことについて、中国(大連)のことについて、継続して、関心を持ち、貢献できる取り組みを進めていきたいと考えています。

東北については、現状、立ち上がる意欲のある中小の地場産業に対し、提供される十分な支援があるわけではありません。
今は、インフラ整備に対し、あるいは生活者の一定の生活水準の確保に対し、限定的な支援策がとられているにしかすぎません。国や県ができることは、それらのことに限られてくるのかもしれません。
東北は、新たな産業の創出と同時に、特色ある地場産業が再び立ち上がることがなければ、その地域経済の再生はありません。
地域経済の再生がなければ、多くの人は外部からの全面的な支援に依存し、低い水準のままの生活を余儀なくされるということになります。
しかし、これらの地場産業については、内需は十分に期待できません。特に食品関係については、被災地の商店街などの飲食店は地域によっては壊滅している為、内需回復の目処は立ちません。
また、資産価値が低下し、借金から設備投資にまわした設備自体が津波で損害を受けているケースも多く見られます。しかし、県や銀行の融資・支援の枠組みの中では十分な担保や信用が無く、資金繰りに奔走しなければならないといったケースも耳にしています。
この冬を乗り超え、魅力ある東北を再生せねばなりません。
その為に、全国の消費、寄付、善意の融資、あるいはその他のリソースを引き出し、供給する中間的な支援・コーディネート機能としての「地域再生事業体」が必要になると考えております。
地元の行政、中小企業、ボランティアで動く人、あるいは避難所で日々の生活を送る人、それぞれ個々のレベルにおいて、高い意識でがんばっている方と、この数回の訪問で出会うことができました。
しかし、それをまとめ、つなぎ、ニーズを汲み取り、地域再生をコーディネートする機能については十分に整っておらず、これが必要であると、前回までの訪問で確信しております。
今後「社会プラットフォーム」としてのそのような機能の組成と確立を進めて行きたいと考えております。
山形大学の知人は、「Smile Trade 10%」というパッケージとしての取り組みを通じ、大学としての支援プログラムを進めていますが、このような動きとも連携し、ひとまずは、ご縁のできた東松島、石巻といった地域を中心に、大きな枠組みとしての「地域再生事業体」の構築に動いていきたいと考えています。

大連については、10月1日に、岐阜県出身、あるいは縁のある方々の親睦、あるいは岐阜県と大連との友好交流の促進を目的とした「大連岐阜県人会」が発足しました。
2008年5月に日中間で調印された『「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明』においてもキーワードとして浮上する「戦略的互恵関係」の推進に基づく観光、経済の交流意欲が日中関係においても機運が高まり、日本の技術等の優位性や中国の市場としての価値が認められつつある中(*3)、しかし、その具体的な方法論や機能については、十分に整備・確立されているとは言いがたいといえます。
関税、商習慣の違い、法務、カントリーリスクの問題、低品質の旅行サービス、あるいは国民感情や相互の不理解などの様々な面倒な要因が、互恵関係の形成を阻害しているともいえます。
ジェトロ、旅行会社、航空会社など個別の主体が、これらの現状に対し、確たる解決策を持っている訳ではありません。
これらの障壁を解消し、安全且つ適正に産業経済、並びに観光文化も含めた人的交流について、コーディネートする「社会プラットフォーム」が今後必要になります。
今後、個別具体的な取り組みを進める中で、これらの形成についても関与していきたいと思います。

以上の2つのプログラムにおける問題意識のいずれにおいても、市場、国家、市民、あるいは産官学民を総動員して、その問題解決にあたる社会的ソフトとしての場(プラットフォーム)の形成が、現状の環境の中で、新たな社会・経済を創造する要素になると考えております。
個人としての転身においては、これらの「社会プラットフォーム」を構築し、機能させ、秩序の形成と受益者(生活者、消費者、事業者)への波及をもたらす事業(Social Platform Business; SPB)を通じ、創造、個の尊厳、幸福に根ざした未来の社会基盤を創造する一つの貢献主体でありたいとの思いを抱き、新たな船出として、私はこの 'SBP' を携え、漕ぎ出したいと思います。
どうか今後ともよろしくお願いいたします。

2011年11月5日
岐阜県可児市にて

<関連リンク>
黒川清オフィシャルブログ
Smile Trade 10%
「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明

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*1 P.F.ドラッカー『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』, 1999.3, ダイヤモンド社
*2 黒川清『イノベーション思考法』, 2008.3, pp.211-212, PHP新書
*3 外務省ホームページ『「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明』, 2008.5
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# by miyatahisashi | 2011-11-05 16:41 | その他

価値経験と観光

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先日、志摩市観光協会の友人を頼って、松島や三陸海岸と同じリアス式海岸の広がる志摩市にお邪魔し、牡蠣、海苔の成育風景や観光の傾向などについて拝見させていただきました。

志摩は、子どもの頃に家族に連れて行ってもらったことがある思い出の地で、民宿、そこで出されたサザエ、海など内陸県に住む子どもとしては、大変印象深かった覚えがあります。
小学生の頃からひねくれ者だった私は、ディズニーランドのようなテーマパークはあまり好きではなく、良い印象が無いのですが、志摩については、この民宿とサザエ、迷路の様な町の印象が未だに残っているのです。
それからかれこれ約20年。
いずれ子どもができたら連れて行きたい候補地の一つでしょう。

今回も、夜は美しい月、波の音、そして時折見られる流れ星の中、日々の現実を忘れさせられるひとときを過ごすことができ、また昼間はプライベートビーチを覗かせていただき、きれいな海に感激しました。

2005年9月より日本ライン広域観光推進協議会(木曽川夢空間事業連絡会として現在は事業縮小)に、2008年4月からは美濃加茂市商工観光課に勤務している私は、観光についてはかれこれ6年関わっております。
その中で、現在関わっている地域に訪れる方々の価値経験について、未だに十分理解していない点があると自覚しております。
見慣れた土地、見慣れたひととの関わりの中で、来訪者にとって何が価値なのかについて、つい自問してしまいます。

2007年1月より日本国政府は「観光立国基本法」を施行し、「観光立国基本計画」に基づき施策展開がなされ始めました。外国人観光客についても、「外国人観光旅客の来訪地域の多様化の促進による国際観光の振興に関する法律」(通称:外客誘致法、1997年施行)を発端に、「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を始め、大々的に動きができてきました。
そして、観光立国推進基本計画においては、2006年の実績で733万人であった外国人観光客を、2010年に1,000万人にまで増加させ(*1)、更には2013年に1,500万人、2016年に2,000万人、2019年に3,000万人との目標設定(*2)がなされています。

実際に、旅行商品やその手配、販売を担い、飯を食っている旅行会社や、観光客が来訪し、消費することで収益を得ている地域の宿泊業あるいは観光関連サービス業の方々にとっては、それらの観光客に関する数値や一人当たりの消費額が死活問題となります。
国内の人口減少や消費性向(旅行形態)の変化を踏まえ、一度の旅行にかける予算の高い外国人観光客、とりわけ最近では中国人の富裕層に光が当たるのもごく自然な流れと言えるでしょう。
断続的に緩和が続いている中国人観光客のビザ発給要件の更なる緩和も言われています。

一方、施設・テーマパークの魅力の減退(ハコモノ化)、地域のテーマパーク化(消費を促すだけの機能として定着すること)についても、本来の価値を減損させ、儲かれば良いという発想に陥ってしまう怖れがあるということも、観光に関わる身としては注視する必要があるのだと思います。
合掌造りの建物に掲げられる「営業中」の看板は、その葛藤が顕著に現れた例と言えるでしょう。
また、中国国内にも日本以上に美しい自然や立派な施設、公園、テーマパークがあることも忘れてはいけません。
以前、視察団やメディアをある施設に案内したことがありますが、あまり魅力に感じていただけなかったという失敗(気づき)もありました。

いずれにしても観光の本質は、「価値経験」にあると思います。
お金に換えがたい価値経験をどうプロデュースするか、あるいはその舞台、受け皿を地域としてどう築き、潜在的な来訪者の価値経験へとつなげていくかということなのだと思います。
日本人であろうと、欧州の方であろうと、中国の富裕層であろうとそれは変わらないでしょう。
価値経験は、一概にありきたりの見せ物を見せ、なるほどといってバスに乗って帰ってくるもの(中国で「走馬観花」馬にのって遠くから花を眺めると言うのだそう)だけから得られるものではないのだと思います。

例えば、東北の復興を願い何度も足を運ぶことも価値経験、志摩の美しいビーチでサーフィンすることも、はるばるイギリスへ飛行機に乗り彼女に会いに行くこと(たまたまそういう人に空港で出くわした)も、新たなビジネス機会を探り企業訪問に訪れることも、芸術文化に触れるために文化施設へと足を運ぶことも、いずれも価値経験と言えるでしょう。
そこに出会いや共感、時に苦い思い、あるいは知られざる「じまん」の発見など、人生における新たな経験の機会が待っています。

岐阜県では、「じまん」を磨き、触れる機会を多くつくることができないかと言うことで2007年より「飛騨美濃じまんプロジェクト」というのが始動しています。
プロジェクトによる大々的なブラッシュアップやプロモーション活動にとどまらず、何らかの価値経験を創発する有機的な交流機会の創造を、地域の資源(ひとや環境、街や施設)や立地などの実情を踏まえ、戦略的且つ体系的に取り組むこと、そのマネジメントや地域における他の要素との連携・連動のコーディネートは、いわゆる観光行政において求められることであると思います。

その上での数字。
そう考えると、単に施設への来場者数やコンベンションの開催件数のみが唯一有益なベンチマークとなり得る訳ではないと思います。
地域の実情や戦略に応じた目標設定が必要で、確かに国の予算は持っていますが、観光庁に従順である必要も無いでしょう。
岐阜県美濃加茂市には、中山道太田宿、日本ライン下り、日本昭和村、山之上観光果樹園などの主要と言われる観光スポットがありますが、トータルでこれらの施設の数字は右肩下がりです。
しかし、それに囚われることなく、産業立地や周辺観光地・資源との協力関係を含めてみれば、価値ある交流機会を今以上に創出する余地は十分にあると考えています。
そのための核となる手段として、「外商を基軸にした産業政策の循環モデル」(後日機会を見て記載したいと思います)であると考え、今後、方針を明確にするための「地域経済計画」の立案、共有の必要性を提案し、調整していきたいと思います。
当地においては、産業(主に製造業)を中心とした他地域との多面的な都市間交流が、有機的な交流機会の創出、他地域との協力関係の構築、都市としての求心力の強化につながり、ひいては交流人口の増加につながるという考えです。
これは、飛騨高山、白川郷、下呂温泉、国宝犬山城といった全国レベルの周辺観光地とは違った当地ならではの観光に対するスタンスでしょう。

志摩は、美しいリアス式海岸、ビーチ、牡蠣や海苔、海産物、あるいはもてなすひと。
やはり名古屋付近の海とは明らかに違う。
その核となる魅力を中核とし、国立公園としての環境・景観の保全や、それぞれが味をもつ小規模民宿を大切に、その魅力の発信をがんばっていただきたいと思い帰ってきました。
また、志摩は、なかなかその活用が難しいでしょうけれど養殖真珠(ミキモト)発祥の地でもあります。
また、行きたいと思います。感謝!

2011年9月3日
岐阜県可児市にて

<関連リンク>
伊勢志摩Rias
伊勢志摩国立公園
観光立国(観光庁)
観光庁2010年4月発表資料
飛騨美濃じまん観光スタッフブログ

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*1 観光庁「観光立国推進基本計画」, 2007.6, pp.3
*2 観光庁「訪日外国人3,000万人へのロードマップ」
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# by miyatahisashi | 2011-09-03 19:06 | 中部・岐阜

9.11から10年 — 今、地方からできること

2001年9月11日。私は当時経済学部の学生として、テレビでニューヨークの光景を目にしました。
何千人もの人がその災難に巻き込まれた中、私が次にとった行動は、ドルを買うというものでした。一時的に下がるドルを買って利ざやを稼ごうという単面的な発想に囚われていたのです。ウォールストリートに憧れがあったのも事実で、当時は金融関係への就職も考えていました。
しかしその後において、それらの行動の浅ましさを感じることとなります。人の不幸を契機に懐を肥やす節度ない行動。私は、何のための金か、金融か、あるいは富かについて、考えさせられることになったのです。

自動的に資金が集約できる国家についても素朴な疑問を抱いていました。権力統治のシステムが確立されているばかりでなく、様々な問題や不透明性が指摘されるなか、代替される仕組みをもたない国家システム。
当時、より効果的な公共的な意思決定や資本の分配システムが構築できるのであれば、もはや既存の国家システムは必要ないだろうと考えました。
そのような思索の経緯もあり、大前研一氏の著書の巻末で政策学校「一新塾」をみつけ、門を叩き、また後に大学は中退しました。

国家のみならず、経営危機に瀕したビッグスリーのCEOがプライベートジェットに乗って公的支援の要請に駆けつけ、更に高額の報酬を取り続けていること(*1)に批判が向けられたことも記憶に新しい事実です。
慣習や、環境はその人格を大きく左右するものなのでしょうか、あるいはその人の価値観との相互作用がそのような結果を招く要因になったのでしょうか。

ソビエト連邦の解体や、中国の資本主義システムの導入により、社会(共産)主義体制は事実上終焉。サブプライム問題や国家財政の破綻危機、英国やノルウェーなどでの暴動の頻発は、私たちの生活の基盤を成す自由市場主義経済に対しても、十分なものではないということを時折、知らしめられます。
一方で、価値・信用を数値化したお金、その融通、経済循環に変わる、価値交換の効果的な仕組みについては、今のところ有事・緊急時以外には想定できません。
我々は、今後も実体経済の中で生活をしていくことになるでしょう。
マルチプルやサイバーと言った浮遊する資金的動き(*2)を理解しながらも別の次元で、実体経済やボーダレス経済を軸に地域や生活者の豊かな生活の基礎を作り上げていくこと、また、その背景としての自己管理や制御を市民・国民の手で築きあげていくことが大切なのだと思います。
スイスのワインが国外に輸出されなかったり、ドイツの企業グループが、国内の資本家による自己資本比率を高めるよう指導をされていたりと、外部の思惑とは別に、地域や国が国民の豊かさを守るポリシーを貫いている姿勢も、多くの国で見受けられます。
社会における富を築き上げ、享受し、守る手段として資本(あるいはそのパラダイム)を活用する術を、今日ではもたなければならないのだと思います。

2011年3月11日の東日本大震災では、タイミングもあって、今まで未踏の地であった宮城に、結果として7度足を運ぶこととなりました。
同じ国民としてできることをしたいという想い、9.11の反省、そして、多くの犠牲の中で今までと違った考え方や仕組みが問われることになるだろうと感じ、動きました。
また、安直な増税議論や国家への依存度の高まりに危機感を覚えました。

現在私は、ある地方自治体で、国外の地方都市との多面的な都市間交流の枠組み構築及び、それを踏まえた都市としての立地優位性の構築についてを中心的課題として捉え、取り組んでいます。
分野や地域など、様々なレベルでの多元化が進み複雑化する社会の中で、3.11も含めた悲しみや苦しみの経験を糧にし、人類史上繰り返されて来た侵略と支配の歴史やDNAに終止符を打ち、平和と共生の理念を以て、新たな社会秩序を生み出す。
それを、一地方からできること、一地方だからできることとして、今問われる役割を発揮したいと考えています。

エブラハム・リンカーンは、「黒人奴隷の解放無くして自由の合衆国は存在し得ない」との信念を持ち、南北分裂から統合のプロセスにおいて役割を果たしました。彼がいなければ、今日のアメリカや世界は違ったものになっていたでしょう。
原発事故、国民国家の危機、繰り広げられる戦争、食糧・エネルギー問題。今、直面している文明の齟齬から、有志は手を取り合い、社会を再び創造することが、人類として、この時代に生かされた者としての使命であると感じ、私も今後、断続的な努力、行動を重ねたいと思っています。

2011年8月27日
岐阜県にて

<関連リンク>
政策学校「一新塾」
本文は「一新塾」メールマガジンにて配信される予定です

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*1 Brian Ross, Joseph Rhee. ‘Big Three CEO flew private jets to plead for public funds’. Nov. 19, 2008. abc NEWS.com
*2 大前研一『新・資本論—見えない経済大陸へ挑む』, 2001.10, 東洋経済新報社
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# by miyatahisashi | 2011-08-27 17:14 | その他

平和と共生 — 自らのDNAに挑む

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先日、大連市の中山広場にある「大連賓館」に4日間滞在しました。
大連賓館に事務所のある日中法務交流・協力日本機構に務めてみえる方のお勧めで手配していただきました。
この建物は、日本が満州を占領していた1907年に開業した「大連ヤマトホテル」として満州鉄道により経営されていた時期もありましたが、今でもその遺産を引き継ぎホテルとして経営されています。
大連市を含めた東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)は、漢民族のほか、満州民族(女真族)、朝鮮族、蒙古族などの民族が入り組む地域であると同時に、時代の過程においてはロシア人や日本人などが移住(占領)してきた地域でもあります。
民族の衝突の地であり、歴史に翻弄されてきた地域と言えるのかもしれません。

ちょうど出発日の8月6日は広島に、帰国日の9日は長崎に原爆が落とされた日でもありました。
戦後66年が経過し、私のように高度経済成長期に生まれバブル崩壊後に育った世代としては、戦争とは全く現実味のないもので、どこか潜在意識の中で戦争は起こらないもの、平和は当然のものであるという認識に馴れきってしまっています。

大連(旅順)は、中国における軍事拠点の一つでもあり、渤海、黄海、東シナ海の治安維持において青島と並び重要な役割を果たしていると聞いています。
大連の南に位置する黄海においては、韓国軍と米軍において共同の軍事演習を展開され、またオーストラリアにおいても共同演習の強化が図られるなど、中国の領土拡大に対する強い姿勢と同様に、米軍の東アジア近郊における軍事的な取り組みに対して、双方の緊張が高まっていますが、逆にそのお陰でなんとか均衡が保たれているといえるのかもしれません。
実際のところどうなのか詳しくは分かりませんが、見えない駆け引きが展開されているのでしょう。日本は、その間で漂流しているような島国ですが、経済的に、あるいは一つの文明としては、現状において一定の力を持っているとは言えるのではないかと思います。

平和は当然のものとしているであろう私たちの世代の日本人は、日米安全保障条約をはじめ、覇権国として世界にその勢力を誇示してきたアメリカへの追随(バンドワゴニング)により、今日までは一定の平和と成長を享受してきましたが、津波がそうであったように大きな「想定外」の出来事も突如として起こり得ないともいえません。
今、平和について改めて見直す時期に来ているのではないでしょうか。

先日、スイス政府が編集する『民間防衛』という本を手に取りました。この本は、スイスでは全国民に配布する国家防衛のためのガイドラインのようなものだそうです。
ここにおいてスイス政府は、国家の基本的財産を「自由と独立」であるとし、「国民に対して、責任を持つ政府当局の義務は、最悪の事態を予測し、準備すること」であり、更に「自由と独立は、断じて与えられるものではない」と断言しています。その上で、国民「すべてが新しい任務につくことを要求」されている(*1)と意識、思考、行動面において啓発・警告をしています。
スイスは、2度の世界大戦を通じ、周囲の強国の脅威にさらされる中で、「永久中立」という戦略をもって一つの独立を保って来た連邦都市国家ですが、絶えずそれぞれの歴史についても検証し、自然災害も含めたあらゆるハザードを想定し、その対策を打つべく指針を示し、その権利の獲得と義務の要求を明確化しているのです。

戦争とは起こりうるもの、人や国家は暴走し得るもの、自然災害や事故は起こり得るもの、平和や安全とは与えられるものではなく自らが獲得していくものであるという基本的なスタンスから出発し、情報操作なども含めた脅威の対象を明確にし、それぞれがいかなる立場で、いかなる対策を講じ得るかについて、考え、コミュニケーションを図り、対策や行動を促すというスイス政府の姿勢を見ていると、不明瞭なスタンス、よくわからない情報や、見えない意思決定があふれる我が国について考えてしまいます。

黄海を舞台に繰り広げられる軍事演習や、尖閣諸島の報道は、ハンチントンが指摘するように、アメリカが「世界のほとんど全ての地域を勢力範囲におさめて、自らの国益を促進する能力をもっている」中で、「実質的にすべての地域大国が、独自の利益の促進をますます主張しつつあり、しかもその利益は、アメリカの利益としばしば対立」する「一極・多極体制(uni-multipolar system)」いう状態に変化しており、更に「真の多極体制」へ変遷(*2)している現在の動向がうかがえます。
アメリカと他の地域大国との関係性に変化があらわれる中で、日本においても様々な地政学的変動(リスク)を抱えることになるため、変化を捉えた適切な対応が要求されることは間違いないのだと思います。
適正な理念、戦略、そして国民の理解と努力が今後問われてくるでしょう。

近年のアメリカは、石油資源の略奪や軍産複合体の影響が表面化するなかで、現状の秩序を維持・拡大させる過程において、アフガニスタンへの侵攻をはじめとした好戦的な姿勢に対して、外交の場においても多くの批判の目が向けられてきました。
また、英米が主導してきた国際的な金融の枠組みについても、特にリーマンショック以降に不信が生まれています。国家財政についても持続可能性に疑問符が打たれています。

アジアにおいて強大な国家として、その地を治めていた中国は、19世紀初頭から弱体化し、英国、ロシア、日本の侵略(日本については、ロシア勢力からアジア圏を防衛する手段として侵略を図ったという歴史認識もある)を受け、あるいは内戦や強権的な独裁政治を経て現在に至っています。
漢民族が主軸となる中国共産党体制が確立し、一国二制度により経済成長を遂げ、技術や経済において大きな飛躍を実現し始めた中国は、今こそ再興の時代であると、反逆精神が湧き上がってきても当然といえるのでしょう。
強く、豊かになる。
アラブ諸国も含め、「Discipline of the West」(西洋の統治)を乗り越え独立を果たすというストーリーは、21世紀のアジアを見る上での一つの視点と言えるのかもしれません。

しかし、残された我々が、今からできることとは何でしょうか。
我々はその中で、小国として強固に生き延びているスイスに倣い、リスクを明確にし、その対策を打っていくこと、それを国民全員の手で守っていくことも重要なことかもしれません。実際、既に多くの自然、人的リスクが内外に潜んでいるということが、今回言うまでも無く露になったことです。
また、もう何千年も続く「侵略と支配」の歴史が、現在もそのDNAとして人間活動を方向付けしているという現実も、やはり各地で起きる緊張関係や戦争を見ると明らかです。
スイスで顕在化されている手段もあくまで手段です。あくまで「自由と独立」のための手段です。

私は、今回の震災で多くの日本人が直感的に理解したように、相互に助け合って生きていかなければならないという価値観、原爆投下による悲しみや苦しみから平和を希求する価値観、あるいは古くから仏教、西欧文明を導入し、融和させてきた文化的許容度などといった文化的背景を哲学として強化し、今日までの文明が支配していた「侵略と支配」のDNA(価値観や慣習)ではなく、「平和と共生」を希求するDNA、理念、哲学を確立し、波及させていくことが今の日本において、これからできることなのではないかと思います。

大連の地で経済、物流、観光、文化、政治といった多面的な交流を促進していくことは、ひとつの手段。
国内、そして東アジアにおいても支えあいの網の目が地域を包み、更に個人の理念と行動に「平和と共生」のDNAが備わり、その適切な理念と行動をもって主体性を発揮することができた場合において、いわゆる攻撃的な防衛手段一辺倒に頼ること無い、能動的防衛手段としての意味も含む「信頼関係に基づく相互の持続的発展と均衡の維持」を実現することができるのではないかと思います。

今世紀において、この「侵略と支配」からの脱却と「平和と共生」の理念に基づく持続可能な発展と均衡の維持、市民国民の適正な理念と倫理に基づく主体性の発揮という視点は、人類におけるパラダイムシフトとして必要かつ注視すべきものであると感じています。
「Discipline of the West」からの脱却という相反性のある概念ではなく、我々のDNAの呪縛からの脱却(超越)という包含性を中核的信念としてことに当たること。また、それを担保するシステムとしての「安全確認型」社会の枠組みを構築していくことが必要でしょう。
日本の果たすことができる貢献について、拙い頭ではありますが今後も学んでいきたい、小さな力ではありますができることを果たしていきたいと思いながら、大連の情緒的な街をあとにしました。

2011年8月12日
美濃加茂市にて

<関連リンク>
一般社団法人 日中法務交流・協力日本機構コラム「日本人弁護士が見た中国」
大連賓館公式HP

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*1 スイス政府編『民間防衛』, 2011.4.25, pp.5, 6, 13, 原書房
*2 サミュエル・ハンチントン『文明の衝突と21世紀の日本』, 2000.1.23, pp.58-61, 集英社新書
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# by miyatahisashi | 2011-08-12 21:59 | 中国・大連