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政策学校「一新塾」のメルマガにてご紹介いただきました

私が嘗てよりお世話になっている政策学校「一新塾」のメールマガジンにて、少し、紹介をしていただきました。
まだまだ至らない私ですが、これからも宜しくお願い致します。

2012年8月25日
岐阜県にて

以下、転載。

『いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった!』~株式会社デルタトラクターを起業して~
一新塾第12期・22期「名古屋」地域科 宮田久司

●長かったフリーター時代
2002年、大学生として悶々とした日々を送っていた私は、新たな糸口を見つけようと一新塾の門を叩いた。
名古屋のミーティングに足を運ぶと、真剣にビジョンを語り、現実社会に働き掛けていく大人達の姿があった。そして、これこそ私が求めていた環境だと思った。
それから大学を中退し、2年半のアルバイト生活を送った。
先の見えない毎日に終止符を打ったのは、ある公共施設で見かけた「観光まちづくり」のワークショップのチラシだ。元々、地域振興に関心のあった私は、早速アイデアを持って愛知県犬山市にあった日本ライン広域観光推進協議会に聞き取りと提案に行き、その半年後、縁あってその職場にお世話になることとなった。

●地域だけで若者は食べていけない
日本ライン広域観光推進協議会と、その後移籍した美濃加茂市役所商工観光課に在職した約6年間、私は地域の現場に入り込んだ。
職責として、住民ワークショップ、イベント、展示会でのPR、特産品開発などを担当させていただいただけでなく、プライベートでも酒蔵と大学相撲部がコラボした商品企画や、中山道に関するイベントやフリーペーパー発行など、様々な事に関わり、勉強させていただいた。
一方で、これらの取り組みについては、反省点もある。
一つは、衰退が始まった地域に対して、行政が意向を持ち、職員が業務として担当し、予算を付け、ワークショップをやったとしても、結局、短期的なアウトプットや自己満足に終わってしまったという点。
二つ目は、地域のまちづくり活動に参加する場合、その活動以外に、広域的に発信できる別の本業を持ち、まちの活性化と自身も含めた利害関係者の利益とを明確に結びつけることが出来ない限り、その取り組みは持続しないという点である。
近年、まちづくり活動もコミュニティビジネスの一環として取り扱われているが、実際には相当な難しさがあると感じる。

●中国との出会い
市役所在職中は、新しい出会いもあった。同僚の中国人の繋がりから、当時、新たに着任された総領事(名古屋)とお会いする事もできた。2009年の秋。中国人観光客の誘致について、注目されはじめた頃だった。
総領事は、観光を通じた人的交流の促進に意欲を持っていたこともあり、私は美濃加茂市から白川郷、飛騨高山、下呂温泉なども含めた岐阜県の魅力を知って頂くため、観光視察と、各首長との面談を手配した。
それが一つのきっかけとなり、大連電視台の取材手配、行政視察の対応、勉強会の開催、ミッション団の派遣、市内事業者の海外展開動向調査や対応施策の検討などを進め、それまで取り組まれていなかった領域についても、商工会議所と共に取り組むべく、手はずを進めていった。
更に、美濃加茂市には日系ブラジル人を中心に、ピーク時には全人口の12%以上を占める外国人登録者数があり、それを活かした共生、交流、産業などの横断的なプログラムが必要だろうと、戦略を提示し、新ポストの設置も提案した。
しかし、こういった振る舞いは、一部の有力者からは煙たがられ、圧力がかけられていたことも事実だと思う。まだまだ出来る事は沢山あるにも関わらず、もはや何も出来ない状況に無力感を感じ、退職した。

●地域と世界をつなげる
退職後は、観光行政に携わっていた思いや人間関係もあり、主に中国の東北地方への観光プロモーションや視察アレンジなどに取り組んだ。
特に地元である岐阜県の魅力を、その地域の中だけに押しとどめておくのではなく、現地の生活者に紹介し、外の目や価値観によって、逆に磨かれ、一層の輝きや価値をもたらし、活性化へと結びつけることができると思い、活動を続けてきた。
日本では、どの土地にいってもインターネットがつながり、家電が充実し、きれいな車が置かれている。そういったグローバル経済から大きな便益を受け、グッズを揃えているにも関わらず、地方の側では、世界とのより良い結びつきや、貢献する手段を持ち得てない場合、どこで経済的な整合性を保っているのだろうか。地域と世界をつなげる「何か」が必要なのだと感じる。
勿論、そのような結びつきは、世界平和や共生、戦略的互恵関係の構築といった社会理念にもつながるだろう。

●モノを通じてコトへとつなげる
しかし、退職した事は良いものの、厳しい現実にも直面している。
誘客プロモーションや視察のアレンジは、見えない価値を提案するものであり、既存の業界の層も厚く、別の切り口が必要だった。
そんな中、ある方から直接観光誘客を進めるのではなく、モノを通じて直接コミュニケーションできる環境をつくり、そこから交流につなげていけば良いのではないかと助言を頂いた。モノを通じてコトへとつなげる、確かにそうだと思った。
また、自分ひとりの知恵だけでは限界があると考え、一新塾の仲間の協力も頂き、今年の6月に株式会社デルタトラクターを設立した。
このようないきさつも踏まえ、今は、来年に、中国大連市にひとつのコンセプトショップを開店するべく準備に動いている。
全てが未経験であるが、今のところ引き返す先も無い。人生の必然と思い、前を向いて挑戦し、成長し、貢献したいと心底思う。

転載は以上。

<関連リンク>
政策学校「一新塾」
メールマガジン・サイト
# by miyatahisashi | 2012-08-25 21:21 | その他

設立趣意書

世界と地域をつなぐプラットフォーム事業の展開に伴い、6月4日に「株式会社デルタトラクター」として、新たな一歩を踏み出します。
今回、改めてその設立にかける思いを設立趣意書として整理しましたので、以下に紹介させて頂きます。

——
驚くことを成し遂げる小さなチーム。
シリコンバレーを中心に起こった情報革命は、小さなチームのチャレンジが大きなエネルギーを産み、偉大な革命を牽引した。
我々の小さなチームは、世界と地域を結びつける交流の革新を通じ、世界の人々の旅行や消費のあり方、投資のあり方にひとつの良い、インパクトを与える。
このインパクトは、中国からアジア、そして世界へと広がり、グローバルな価値をもたらす。
切り口となる観光や高付加価値産品は、いわゆる文化消費である。
文化とは、耕し豊かになるとの言語的背景があり、我々の事業は、人々の心や身体を豊かにする普遍的価値を持つ。
文化を、文化として見出し、編集し、伝えるプロセスは、例えば千利休が、あるいは柳宗悦が、あるいはその思想と共に岡倉天心、新渡戸稲造や鈴木大拙らが、その手により、世界に広めた。
我々の事業は、それら先人の努力の延長線上にあり、各地に引き継がれ、存在する文化を見出し、深くに掘り下げ、広くに伝え、直接文明を豊かにする文化的な消費活動や、投資活動へと結びつける。
その結果、世界中の一人一人が満たされる、地域が生きる、前向きな交流が友好を育む。
我々は、偉大なチームにより、その飽くなき追求をし、世界に、文明に、経済社会に、人々の暮らしにより良いインパクトを与えたい。
この新たに仕立て、漕ぎ出した船は、世界と地域、ひととの縁を結び、つながりを育む、交流革新を牽引する、舵取り役であり、フロンティアでありたい。
——

2012年4月30日
岐阜県美濃加茂市にて
設立趣意書_d0253056_1372935.png

# by miyatahisashi | 2012-05-01 01:37 | その他

社名の由来

昨年11月末に退職し、フリーの立場から使用していた「デルタトラクター」の屋号ですが、6月の株式会社化を目指し、準備を進めております。
現在、事業計画やその後の体制について構想を整理しておりますが、この屋号の由来について、記載したいと思います。

「デルタトラクター」という屋号が生まれたのは、実は今から12年以上前の2000年1月に遡ります。当時、高校2年生だった私は、前年までは、まじめな進学クラスにいたのですが、全く勉強をしなかったばかりか、その教育方針に異論を唱えるという、面倒くさい生徒だった為、最も出来の悪い(失礼!)人たちが集まるクラスへと行くことになりました。
そこでは、授業中にタマゴが飛んで来たり、気の弱そうな先生をいじめたりと、何から何まで騒がしい動物園のような(失礼!)クラスだったのですが、ふと、このような環境の中で、凄く真っ当でポジティブなことをやり始めようと、うかつにも思い立ったのがはじまりでした。

それは、例えば教室をペンキで塗り、明るい雰囲気を作り出すことを試みたり(今思うと、勝手に塗って、その教室だけ浮いていただろうし、どうかと思うのだが)、サッカーチームを部活とは別で立ち上げ、正規のサッカーチームの横で、練習しはじめたりと、思えば好き勝手なことをしていました。
その時のサッカーチームの名前が「デルタトラクター」(通称「デルトラ」)。
当時は、サッカーチームを基軸に、社会教育や福祉の視点を盛り込んだドイツ型のコミュニティクラブをつくるというのがひとつ、目指す方向として掲げていました。

エネルギーあふれる高校生たち。
そのエネルギーを教師への不満や、自転車を盗んだりといった事で終わるのではなく、前向き且つ創造的な方向に向けたい。
こんなどうしようも無いと思われている人間たちでも長所があり、創造性がある。それを引き出し、面白いことをして、一人一人の未来につなげたい。
それが、はじまりです。

中学校時代の体験が、私にこのような考えをもたらしたのかもしれません。
私の居た中学校は、とても厳しく、生徒は教師に絶対服従。校庭にガムの紙が落ちていたら全校集会といったかなり管理主義的な風土でした。
教師に反抗しようものなら…、これは私の個人的な体験なので一概にどうかは分かりませんが、狭い部屋に長い時間閉じ込められ、学校が終わってから空いた教室でその学年の教師達に取り囲まれ、「指導」という名目で一人ずつから叱られ、教師によっては殴る蹴る、髪の毛を引っ張るなどの暴行を受ける。そこには、一種独特の世界がありました。

これは、私が中学1年生の時の話。
それから時が経ち、3年生になったときの教室には、茶髪の生徒が現れ、廊下には自転車が走り、授業は度々中断ということにまでなってしまったのです。
内外で悪い人たちと接し、また体格もよくなった生徒達は、ここで一気に形勢逆転です。
そのような人間の中には、私は個人的に親しくさせていただいていた仲間や、小学校からの友達も居ました。
決して悪い人間ではないのです。様々な面で能力のある人間、良い性格の持ち主がそのような中にも沢山いたのです。いや、むしろ中途半端にまじめなやつより真っ直ぐだったかもしれません。
何が、彼らをそのような方向へと変えてしまったのでしょうか。

「デルタトラクター」の名前の由来は、毎回、名刺交換した方などに話すのが恥ずかしいのですが、「デルタ地帯を耕すトラクター」がモチーフになっています。
実際にデルタ地帯でトラクターが土地を耕しているのかは知らないので、完全に妄想なのですが、肥沃な土壌であるといわれるデルタ地帯を耕すトラクターの如く、潜在的に肥沃である個人や社会を耕し(可能性を引き出し)、豊かな社会をつくっていくんだ、よりよい未来をつくっていくんだという、高校時代の純粋な意気込みが、そこには込められています。
抑圧からの開放であり、それは創造的な開放です。
自由の獲得であり、自己制御への進歩です。

最近知ったことなのですが、日本語で文化と翻訳される「culture」という英単語にも、この「耕し豊かになる」という意味が、語源に含まれているのだそうです。
「culture」の語源は、耕すを意味するラテン語の「colere」。英語としては、「culture」のほか、耕すを意味する「cultivate」、農業を意味する「agriculture」などにも派生しているのだそうです。

「地域の潜在的な力を引き出し、個人の幸福と未来社会の創造につなげる」。これが、ちょっと長ったらしいですが、当社の理念です。
先ずは、中国に日本の文化をより魅力的に伝え、相互の幸福な出会いに結びつけること、その為にいかなる取り組みをすべきか。今、その具体的なビジネスモデル構築の準備に取りかかっているところです。
どうか、これからも「デルタトラクター」を宜しくお願い致します。

2012年4月14日
岐阜県可児市にて
# by miyatahisashi | 2012-04-14 21:05 | その他

「第三の観光目的地」を目指して

飛騨市、宮城県、大連市、東京と遊牧民のような放浪生活も終わり、やっとのこと、帰宅しました。一息つくと、やはり疲労感が襲ってきます。
様々な出会いや、ご指導いただいたこと、あるいは失敗やこれからの課題に直面していることに対し、感謝しながらも、自分自身、適正であらねばならない、成果を挙げなければならないと感じております。

大連では、3月10日と17日の2回に分けて、岐阜県の観光を紹介するテレビ番組が、地元の大連電視台や様々な関係者のお力添えにより、放映されました。
今であれば、ご存知の通り東京と大阪を結ぶ、いわゆるゴールデンルートと言われるもの、そして「非诚勿扰」という中国の大ヒット映画で一躍有名となった北海道の二つが観光ルート、目的地としては主流です。
また、これに最近では、一度発給されると3年間は観光目的での日本への入国に利用できる観光マルチビザの発給対象地になっている沖縄が浮上しています。
東京—大阪ルートであれば、大連でも6,280元(現在のレートで約8万2千円)程度のものが、北海道であれば9,000元弱(約11万7千円)のものが、一般の企画募集型の旅行商品として出回っています。
沖縄県については、大連市内でのラッピングバスの運行や、旅行会社等の招聘事業など、県を挙げて積極的なアピールがなされていますが、これから、どう魅力ある商品提案が出来るか、これからも注視していきたいと思います。
その他、例えば大阪—奈良—伊勢といったルートも売り出されておりますが、いずれも、2つの主力ルート、目的地と比較すると、いわゆる「第三の観光目的地」というのは、未だ確立されておらず、飛騨高山、世界遺産白川郷、北アルプス、下呂温泉、長良川鵜飼、岐阜城、美濃和紙、美濃焼など多様な資源を有する岐阜県も、今後の取り組み如何によっては、「第三の観光目的地」として、訴求し、誘客することは可能である、と私は考えております。

外務省在瀋陽日本国総領事館在大連出張駐在官事務所の統計によると、2011年の観光目的でのビザ発給件数は、震災の影響で前年比マイナス39.1%の8,928人(*1)(数値は速報値)となっていますが、今後の消費生活の向上や、震災の影響からの持ち直し、ビザ発給要件の緩和などに伴い、増加していくことは確かであると思います。
勿論、そこに度々おこる外交問題の影響というカントリーリスクがあるということも間違いないのですが、機会志向でなければ、中国の皆様に日本を楽しんでいただくということ、あるいは日本の観光地や日中の関係事業者のビジネスといった、得られるものも得られません。
観光交流が、双方の経済発展や友好関係に結びつくという波及効果もあるのですから、大連に向けても、あるいはその他の中国の地域に対しても、そのアプローチについては、積極的、機会志向、且つ賢明に取り組むべきであるだろうと感じております。

岐阜は、空港がありませんので、大連の場合、富山空港、愛知県の中部国際空港、あるいは成田や関空を利用することが不可欠となります。
従い、他の地域の資源(魅力)をうまく組み合わせ連携協力していくことが可能です。
最近では、国土交通省中部運輸局が、中部の縦のルートを広めることを目的とし「昇龍道プロジェクト」なるものが立ち上がりましたが、これも、その間には岐阜県が入っており、アプローチは少し違いますが、結果としては類似したものとなるのでしょう。
私どもも、商品造成に関する調整や、プロモーション、営業活動を、極力積極的に展開し、先ず大連市場での定着を図りたいと考えております。
これからの一歩一歩、また観光分野での日中合作、あるいは長期視点に渡る取り組みが求められることでしょう。

2012年3月25日
岐阜県可児市の自宅にて

<放映画像リンク>
聚焦岐阜—飞弹篇
聚焦岐阜—美浓篇

<関連リンク>
非诚勿扰
沖縄訪日観光客を対象としたマルチビザの発給
昇龍道プロジェクト

---
*1 外務省在瀋陽日本国総領事館在大連出張駐在官事務所「2011年査証発給状況」, 2012.2
# by miyatahisashi | 2012-03-25 19:33 | 中国・大連

「小野駅前郷」にみる地域の再生

昨年末12月28日から、新年の1月8日まで、宮城県東松島市「陸前小野駅」(現在運休中)付近にある小野駅前応急仮設住宅に滞在し、そこに住む人が中心となり、復興に向けた活動の最初の立ち上げを支援するため、滞在させていただきました。
3.11以降、地域の再生、日本の再生ということについて、特に10ヶ月経ち落ち着いて来た現時点で、じっくりと取り組む時期に来ていると感じます。
これからの復興プロセスが、地域の再生、日本の再生と大きく関わってくると思っています。
現場レベルにおいては、ハードと同時にソフト、内外の人の関わりの中で、いかにしてより効果的に、コミュニティや地場産業の再建を進めて行くか、その「時計をつくる」プロセスが、今から重要となるでしょう。

ここ小野駅前応急仮設住宅は、約80世帯300人。奥松島として知られる東松島市旧鳴瀬町の宮戸島、東名、野蒜、浜市などの沿岸地域で生活していた方々で多くは構成されています。これらの地域は津波の被害も甚大で、今後移住が必要な対象地のひとつでもあります。
私たちは震災後の支援活動のなかで、松島町「品井沼農村環境改善センター」にて避難所生活を送っていた野蒜新町地区の方々との交流ができました。仮設住宅の切り盛りを中心的に担っているのは、自治会長で新町地区に住んでいた武田文子さん。これから、仮設での生活者が目標を持って生活し、各々の活躍の場をつくりながら復興に結びつけていきたいとの意欲を持ち、以前岐阜県池田町に招かれた際、「世界遺産・白川郷」にご案内したところ、住民が助け合いながらも観光で生計をたてているこの世界遺産を見、「あの仮設にもこのような発想が必要」との印象を持ち、「『小野駅前郷』をつくらなければならない」との着想に至りました。
今回、この「小野駅前郷」の初動のプラン整理、連携体制などの基礎をつくるため、うかがわせていただいたということです。
この「小野駅前郷」プロジェクトは、現在のところ、「①現在観光マップ制作(現在の奥松島の魅力を紹介する)」、「②奥松島ツアーガイド」、「③道の駅機能」、「④観光案内所機能」、「⑤特産品企画開発」という5つの活動プランを段階的に、且つ多くの皆様の協力を得ながら前進させていく計画となっており、小さな一歩ですが、前に進み始めました。

以下、この「小野駅前郷」プロジェクトを通じ、地域の再生(あるいは創造)という観点から、3つのキーワードに基づき、見解を記述します。
1.コミュニティと専門性・特異性(横軸と縦軸)
2.主体の確立・場の形成・協業
3.多元的つながりとフィードバック

1.コミュニティと専門性・特異性(縦軸と横軸)
仮設住宅での生活は、コミュニティの形成が生活や人命を左右します。
小野駅前応急仮設住宅は比較的近い地域の方が集まり、一世帯あたりの構成人数も多いため、お年寄りは集まってひなたぼっこをしながら談話し、また隣近所を配慮しながら生活する姿が、自律的に形成されています。
一方で、小野駅前と交流のできた仮設住宅の一つ、仙台市太白区の「あすと長町仮設住宅」については、約230世帯450人、独居の方も多く、宮城県内各地、岩手県、福井県など様々な場所から入居者が集まっており、隣にどこの誰が住んでいるのか分からない状態、そして、自治会も立ち上がっておらず、入居者情報も入手できないという完全に個別化された仮設住宅となっています。ここでは、そのような状況に危機感を抱いた鈴木良一さんら住民有志が「運営委員会」を立ち上げ、なんとかコミュニティをつくっていこうと奮闘されていますが、そのような努力にも関わらず、やはり犯罪(迷惑行為により逮捕者が2名)や、危うく孤独死が出るという状況などが発生しています。
同じ東松島市の「グリーンタウンやもと応急仮設住宅」も大所帯で、市内外各所から人が集まっており、一人暮らしも多く、殺人事件や孤独死が発生しています。
このような実例から、コミュニティ、助け合い、「絆」といった文化・風土が生活空間において形成されているか否かが、社会福祉の観点から重要であるということことが良く分かります。
一方で、コミュニティが形成されているというだけで若者は食べていけません。
現代の高度な医療、発達した交通網、通信技術や機器、魅力あるコンテンツなどの製品やサービスの創造には、過去からの蓄積と世界規模での経済的連携があってはじめて成立するものですが、これら高度に文明化された製品やサービスを消費する上では、相応の支出が求められます。
しかし、特に地方のコミュニティや、コミュニティ経済に従事する労働において、それらの全てを受益するに足る経済的価値を創出しているといえるかというと、実際のところ疑問です。
日本は、「一億総中流」と言われる認識の中で、国家も、最低賃金の保障、農家への保護政策、租税と再分配などの制度・機能の発揮により、国民の比較的均等な消費生活が支えられてきましたが、ボーダレス化とアービトラージ(国際的な価格水準の差を利用して収益の確保や収益構造の効率化・最適化を図る動き)が前提となり、資本と生産が偏重し始めた現代において、もはや制度や財政といった国家の機能だけでは、富の再分配を賄いきれないということが、失われた20年の中で確実に表面化しているのではないかと感じられます。
国際協力機構(JICA)理事長の尾形貞子氏は、「経済運営において富の分配に良識が働かなくなった結果かもしれない。自由な社会だけど、一部の人だけ裕福になる。これまで有効だった税制という手段だけでは再分配ができなくなってきた。」(*1)と、租税国家と自由市場主義経済に依存した社会の現状と限界について言及しています。
議論されている増税は、この事態を延命するための一つの応急措置策となるのですが、根本的にこのメカニズムが変わらない限り状況は快方に向かわないのではないでしょうか。
とるべき方策は、「①地方がそれぞれの専門性・特異性を高めグローバルな価値を提供する力をつけること」「②経済的な価値換算のパラダイム(基準)を転換すること」「③格差や生活水準の多様化を人々が受容し幸福に対する価値観の多様性を見出すこと」という3つがあると考えていますが、人々や社会システムが順応していくことがこれから行く先に、待ち構えているのではないかと思います。
また、これらの順応プロセスや努力の中で、例えば、都市と農村といった地域間の相互依存性を加味した経済運営を多様なレベルで図り、「不等価交換」を緩和(*2)していくことなどが一つの視点になる、特に被災地での復興プロセスと被災からの克服において、試されている事柄であると考えております。
地域レベルでの努力においては、「専門性・特異性を高めグローバルな価値を提供する」動きを地域再生(あるいは創造)における縦軸、コミュニティの形成を横軸とし、その双方を多元的に深化させ、内外の関係性を強化し、相乗効果を高めることで地域は豊かになると考えています。そのための都市戦略(被災地であれば復興戦略)が必要となります。
今回、「小野駅前郷」プロジェクトを一つの入り口とし、奥松島の復興、宮城の復興、さらに支え合う地域同士の連携 ”Networked States of Japan.” がうまく融合したとき、日本の再生にも光明が見えてくるのではないかと考えています。

2.主体の確立・場の形成・協業
私は被災者ではありません。
現段階では岐阜に戻ればそこでの生活があります。しかし、被災した小野駅前応急仮設住宅に住む住民は、そこでの生活を次第に再建していく必要があります。
中小企業の経営者であれば、ダメージを受けた事業なり事業体を再建する必要があり、そこから逃れることはできません。いずれかの段階で、全国的な支援の手を離れ、自立する時期が必ず来るのです。
確かに外部から来たひと、資本、企業などが進出し、その土地の経済活性化や雇用の確保に寄与することはできるでしょう。
しかし、そこに依存するだけで復興を果たしたとは言えないと思います。
地域の方々や地場産業などを主体に置き、その内発的な意思と力を引き出し、外部の支援の輪、連携の輪とを多面的に結びつけることが必要になるのだと考えております。
現在、小野駅前郷の主体となっているのは、かつて新町の住民だった仮設住宅の7名。
みなさんが個性や能力を持った個人なのですが、復興事業を構想し、具体的に進めていくというプロセスに関して、その手立てを持っている訳ではありません。
そこで今回は、話を聞き、構想イメージを引き出し、数枚の資料に整理し、ともに関係しそうな方々に対し、支援協力の呼びかけをしてきました。
「小野駅前郷」構想は、現在のところ「絵に描いた餅」です。しかし、そこに主体となる住民が中心にいながらも、周辺地域の方、宮城にいる意識の高い支援者や専門家、あるいは全国の支援者や専門家の参画する余地をつくり、相互の意欲と能力を引き出し、支援者は、「私にできること」でバトンの引き継ぎができる「場」を形成することで、小野駅前郷自体のエネルギーも拡張し、「絵に描いた餅」が、オマケ付きで現実化してしまうということに繋がるのではないかと期待を抱いています。
「①主体者の内発的な意思や力を引き出すこと」、「②支援者が参画しやすい場をつくること」、そして「③各位ができる範囲で能力を発揮すること」でこの小野駅前をはじめとした奥松島一帯の復興に、一歩、近づいていくことができると信じています。

3.多元的つながりとフィードバック
今回の「小野駅前郷」の現場での取り組みにあたり、多様なレベルでの連携、情報共有をし、気にかけていただき、サポートを頂いております。
地域内での連携、仮設住宅間の連携、行政との情報共有といった東松島市や宮城県内での連携共有。政策学校一新塾や東北まちづくりオフサイトミーティングのような学習意欲の高い人材の集まるコミュニティの連携共有。京都大学で行なわれた財政研冬シンポジウムのような学術コミュニティ。山形や宮城の学生ネットワーク。あるいは岐阜新聞など含めた岐阜県内の連携網。
地域、各種専門家、国や県、民間企業、NPOなど多様な関係者とのつながりや情報交換、連携、各位が役割を最適に発揮するための活動とフィードバックの共有を意識して進めています。
このような「多元的つながり」を持とうとする認識は、被災地で意識的に動き始めている人々や団体の中では一般化しはじめているようです。逆に長期的に復興支援を進める上では不可欠となるでしょう。
震災復興と地域再生、さらには日本の再生という共通目的において、様々なステークホールダーが情報に基づきアメーバのように自律組織化しているとも言えるのではないでしょうか。
これらの様々なレベルでの繋がりが広く、濃淡も多様であれば、より大きな効果が期待できる。「小野駅前郷」も絵に描いた餅ではなくなる可能性が高くなる。学術的にも良いフィードバックが得られる。復興の為の政策にもフィードバックできるだろう。それらが更なる相互依存、相乗効果を高める結果となる。ゆるやかな多元的つながりが情報(目的)に基づき自律組織化を図り、各位の成果をあげながらも全体の復興や再生と結びつく様は、まさにネットワーク型(つながり)社会の最大の効用と言えるのではないでしょうか。
ガバメント、ガバナンスからマネジメントへ(*1)と言われる地方自治の現場においても、今後、その仕組みや視点を学習・転用し、公共性を伴う地域の経営をオープンにしていく時期に来ていると考えています。

今回の復興プロセスを共有させていただくにあたり、私なりに、特に上述した3点を中心に現場レベルでの取り組みと社会システムや社会科学分野での貢献にも結びつけていきたいと考えております。「小野駅前郷」をどうぞよろしくお願い致します。

2012年1月8日
宮城から東京への車中にて

「小野駅前郷」にみる地域の再生_d0253056_22312972.jpg

<関連リンク>
「小野駅前郷」公式ブログ
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政策学校一新塾
東北まちづくりオフサイトミーティング
みまもり隊
Smile Trade 10%
海野進「地域経営研究所」

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*1 日本経済新聞9面「日曜に考える」, 2012.1.8
*2 広井良典『創造的福祉社会—「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』, 2011.7, pp.118-124, ちくま新書
*3 海野進『地域を経営する―ガバメント、ガバナンスからマネジメントへ』, 2009.4, 同友館
# by miyatahisashi | 2012-01-16 22:31 | 東北・宮城